伊東東雄

伊東東雄(いとうはるお:1937~2018)

系統:蔵王高湯系, 鳴子系

師匠:高橋武男

弟子:

〔人物〕  昭和12年4月1日、鳴子の農業伊東英雄・みさおの子として生まれる。小学校、中学校の先輩で親しかった高橋力雄が鳴子の高亀で働いていたのが縁で、昭和29年1月1日、18歳で鳴子高亀の高橋武男に弟子入りし、木地の修業を行った。こけしも製作した。武男の父武蔵も健在で、武蔵からの指導も受けた。
昭和32年に小田原に行っていた高橋力雄の誘いもあって鳴子から離れ、以後小田原に定着して継続して漆器用の木地を挽き続けた。木地の技術は高く、白石のコンクールの木地の部門で大臣賞を取ったこともある。以後名前が知られて、各地の講習会や講演会に招かれるようになった。平成19年ころ高齢のため木地業を引退した。
平成30年12月31日没、行年82歳。

伊東東雄 鳴子時代

伊東東雄 平成29年1月 撮影:高井佐寿

〔作品〕 作風は鳴子の型と異なり、蔵王高湯の型である。鳴子のものと違うものを作るようにと師匠に言われ、見本として作り付けの小寸を示されたからだと言う。見本は岡崎栄治郎 札幌時代の作り付けであった。この栄治郎式のこけしは一時的ではあったが高亀より5~60本蒐集家の手に渡った。

〔18.5cm(昭和31年」)(橋本正明)〕
〔18.5cm(昭和31年)(橋本正明)〕


〔13.6cm(昭和31年)(沼倉孝彦)〕)

遠刈田式の肩のこけた作りつけも作った。


〔 11.2cm(昭和31年)(ひやね)〕

小田原でも数本作ったことがあるようであるが、製作数は限定的である。
下掲の尺1寸2分の鳴子型のこけしは、木地の仕事を止めてから10本ほど作ったものの一つ。
染料がなくポスターカラーでの描彩であるが、面描整っていて溌剌とした作風である。高亀の確かな伝統を感じさせる。


〔33.6cm(平成19年頃)(高井佐寿)〕

系統〕 木地の系統は鳴子。こけしは蔵王高湯系の写し。引退後の鳴子型は鳴子系。

〔参考〕

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