村松百兎庵

村松百兎庵

本名 村松茂。明治24年7月18日生まれ、昭和46年没、行年数え年81歳。
娯美会、関西こけし会の会員。大阪國文社(印刷会社)に籍を置いた。
大阪市住之江区阿倍野筋に住んだ郷土玩具の蒐集家であるが、主に兎の玩具(兎年生まれであったためという)を対象としたので号を百兎庵とした、その他の郷玩、こけし、年賀状、土鈴の蒐集でも知られた。郷土玩具を始めた動機については「大正6、7年に讃岐八島へ登山の折、八島駕を求めしが最初 これによって郷玩の味を知り申し候」と書いている。

大正時代には八島(屋島)には駕で登った

大正8年頃に始まった浪華趣味道楽宗や、その中の気の合った仲間達の娯美会ややつで会にも加わった。浪華趣味道楽宗では第二番札所萬集山雅楽多寺と称していた。やつで会は郷玩やこけし好きの九人(西田亀楽洞、村松百兎庵、梅谷紫翠、鹽山可圭、粕井豊誠、中西竹山、芳本蔵多楼、青山一歩人、河本紫香)が集まって始めた会。
大正14年の〈鳩笛〉には「趣味家と蒐集品」という一覧が掲載されているが、これには「大阪 村松百兎庵」として「土俗玩具、サイダーの王冠、祝儀袋」を蒐集対象として記載されている。
昭和14年10月21日には米浪庄弌、青山一歩人、岸本彩星、佐野三壷、西田静波、梅谷紫翠とともに「関西こけし会」を結成した。例会の会場は大阪市天王寺公園南門池の畔「小宝」で、戦争が厳しくなるまで13回継続して開催された。
〈郷土研究上方〉に「郷玩天王寺みやげ」(昭和10年2月)、「大阪の神社授與の寳船」(昭和10年7月)、「長壽の土鈴」(昭和12年1月)、「大阪落語」(昭和12年5月)、「住吉おもちや物語」(昭和12年7月)を寄稿した。

村松茂 百兎庵

こけしの蒐集品もかなりあったが、戦後全体の3割ほどが大阪こけし教室の綾秀郎、中屋惣舜、森田丈三に譲られ、残りの物は生駒の旅館の手に渡ったという。
村松百兎庵が浪速趣味道楽宗等の仲間から送られた年賀状は〈年賀状交換帖・全11冊〉として整理されていたが、没後大阪こけし教室の能勢泰明の手に渡り、能勢の没後遺族により日本玩具博物館に寄贈された。
令和元年10月19日から令和2年2月29日まで河内長野市立ふるさと歴史学習館において、企画展「昭和と百兎庵」が開催され、雛祭りの時に遊んだミニチュアの道具、様々な玩具、人形のミニチュアなどの展示が行われた。

百兎庵の絵葉書

〔参考〕

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