浪華趣味道楽宗

大正後期に関西で結成された趣味、道楽の愛好家集団。大正8年に東京で活動を始めた我楽他宗と趣旨を同じくして、高橋好劇が中心になって関西で始めた。

浪華趣味道楽宗の始まりついて、通説では「平凡寺の我楽他宗を真似た」といわていれるが、実践女子大学教授の牧野和夫は、「発想の源( 〝こだわり〞といってよいか)は案外好劇の側にあったのではないか、と考えている。趣味家の集まりの全国組織化をもくろんだ大阪の蘆田止水などの東上を介した動きが大正六年頃にはあったことを考慮すると、ほゞ東西相呼応した動きであった、と考えるべきであろう。」〈実践国文学・第93号〉としている。本来、三十三所巡礼は西国から起こったものであるので、その発想が関西の高橋好劇の側にあったと考えるのには無理はない。

高橋好劇は明治元年に大阪で生まれ、染色を本業としたが、壮年期より芝居やその道具類、郷土玩具、納札等の収集に精力的に取り組んだ。劇が好きなことから好劇と号した。
重要なメンバーの一人であった三宅米吉は浪華趣味道楽宗について次のように書いている。
「数年前より大阪の好事家仲間の変人凡人諸君が寄り合いて浪華趣味道楽宗三十三所の御寺ゴッコを創め、毎年春秋に無縁狂、施雅喜御恵四季、宝物展覧、本尊出開帳を催し、殊に去年の夏などは三州岡崎より尾州犬山へ布教に順錫するなど創宗の歓喜と道楽の法悦とそゞ現世を楽しみつゝあります。道楽宗三十三所の次に新道楽宗各三十三ヶ寺都合九十九ヶ寺の外に尾張道場として和楽山百牛寺以下九ヶ寺、別院として研学山栄州乃路寺、お札博士寿多有上人を加えて宗門の繁盛趣味の興隆にこゝに極まれりと言うべし、です。 ~ 如是我聞本宗は他力自力の本願にて誰人も信仰の勝手自由にして人を茶にし偽りを言はす無欲限りなくして克く人の笑を受け朝夕は看経勤行も入らず自分勝手の熱を吐き日の永きも忘れ夜の更くるも不知るが道楽宗の妙諦なれば各札所霊場を巡りて線香の代りに煙草を燻べお茶でも呑んで住職に接し御利益を受けられましょう。詠歌 おしなべて高き低きも道伴で 趣味の巷に遊ぶたのしみ」(『柳屋』22号収載)
東京の我楽他宗と同様に会員の出入りはかなりあって、また新道楽宗や別院などもあるので複雑であるが主な会員は下記の通り。

青山一歩人、 村松百兎庵、井崎一蝶、 山内紫峰、 美奈山吾尊寺、太田小宝、粕井豊誠、 木下夢人、木村涛華、 中西竹山、 松川青影子、中村柳風、三宅吉之助、木村旦水、 芳本蔵多楼、 福井貫進、本田渓花坊、高橋好劇、 東谷龍堂、浪花贅六庵、松川美都(登)里、山本不二男、 藤崎司芳、宮田芝軒、梅谷紫翠、河本紫香、永見春駒、濱生野、三好柳屋、西田静波、川崎巨泉
 
別院尾張道場  加藤百牛 
別院 フレデリック スタール

この会の気の合った仲間が娯美会をつくり、また主にこけしの蒐集家がやつで会などを作って活動した。

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