関西こけし会

橘文策が満州に転勤して解消された木形子研究会のあとに、昭和14年10月から昭和16年9月まで関西で行なわれたこけし会。
昭和14年10月21日、同人米浪庄弌、青山一歩人、岸本彩星、佐野三壷、西田静波、村松百兎庵、梅谷紫翠各氏によって結成された。事務所はおけしえん米浪庄弌宅 兵庫県川辺郡立花村塚口に置かれた。例会会場は大阪市天王寺公園南門池の畔「小宝」。
こけしの頒布、入札および研究発表、会員相互の親睦を目的とし、隔月に例会を開催した。
常に4~50名集まった。例会は13回継続して行われたが、昭和16年9月21日に「小宝」において開催された「こけし人形図集出版記念展」が3周年にあたり、この会を最後にその後戦争のため自然消滅した。
会誌〈こけしだより〉は4輯まで発刊された。150部限定の私家版であった。「こけし人形百人一蒐展目録」(昭和15年1月4日~11日・大阪日本橋松坂屋)、米浪庄弌が秋山忠の案内で鳴子の中山平に大沼岩蔵を訪問した記録「中山平に大沼岩蔵老を訪ねて」、おけし園こけし展記念文集などはこの〈こけしだより〉に掲載された。
なお米浪庄弌の「中山平に大沼岩蔵老を訪ねて」は、戦後になって〈こけし手帖・5号〉に再掲された。


「中山平に大沼岩蔵老を訪ねて」に掲載された岩蔵

なお戦後も、同様のメンバーで同様の集まりが再開されたようで、鹿間時夫は昭和22年1月、米浪邸での「関西こけし会」の集まりで青山一歩人、雲井聖山、佐野三壷、寺方徹、村松百兎庵、梅谷紫翠と会ったと書いている〈こけし鑑賞〉。ただしこの集まりが戦前の「関西こけし会」を継承するものであったかは定かではない。

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