昭和29年4月に東京で開催されたこけし展に続いて、東京こけし友の会主催で5月1日より6日まで三越百貨店神戸支店で開催されたこけし展。〈こけし友の會だより・8、9号〉に神戸でのこけし展開催の経緯と概要が下記のように報告されている。
東京こけし展終了後、三越本店及び神戸支店の御懇望により三越神戸支店にて五月一日より
六日まで開催しました。陳列品は、東京会員所蔵の一部分と関西在住会員、おけし園米浪庄弌氏から多数の御出品を得ました。ここでは、陳列の主力をおけし園出品にをき(ママ)、県別ー作者別ー系統別群像に分類。文献はすべておけし園から御出品頂きました。実演は、鳴子から高橋盛氏が再び出場してくださった他高橋正吾氏(武蔵氏弟)の二名で、動カロクロに依って行われ、ここでも製品の出来上るのを待ちかねて持ち去られる程の人気を呼んでいました。
五日には、関西会員方の御希望により、座談会を開き多数のご出席を得ました。米浪、橘両氏は鳴子の不明こけしを持参されて高橋盛老に鑑定を乞われるなど、御熱意の程を目の当りに見て大いに意を強くしました。尚、関西では、米浪氏の斡旋で「こけし教室」なる研究会を開いておられる由です。
会期中、会員の米浪庄弌氏を始め、寺方徴、綾秀郎、中屋惣舜、森田丈三、梅谷紫翠、鵜飼定彦(名古屋)、阿部四郎、深沢欣、雲井聖山の各氏の他「こけしと作者」の著者橘文策氏等多数御来会を得て連日好評を博しました。 この度の「こけし展」開催により、関西地方の愛好者にとって、大きい刺戟となり得ましたこと、多くの来会者に伝統こけしへの認識を深めて頂いたこと、「こけし」に対する関心を呼んだことは、主催側としまして誠に喜ばしい、大きい収穫でありました。
東京のこけし展に次いで関西神戸で開催されたこのこけし展も多数の来場者が連日詰めかけて大盛況であったという。戦後の混乱期もようやく乗り越えることが出来、多くの人々が、渇望していた趣味や文化に向き合えるようになった状況、まさに時宜を得た企画であったのだろう。
神戸会場にて 右より橘文策、深沢欣、米浪庄弌、加賀山昇次、今村秀太郎、寺方徹
東京こけし友の会側からは会長の加賀山昇次と〈こけし友の会だより〉を編集していた今村秀太郎が参加した。大阪では丁度このタイミングにおけし園こけし教室がはじまっており、このこけし展の催しは、東京、関西ともに戦後のこけし愛好家の活動を本格的に推し進める契機となった。やがて関西ではおけし園こけし教室から、大阪こけし教室へと発展していった。
この催しは、新旧愛好家が交錯する機会でもあり、こけし展に伴って開催された座談会では、後に大阪こけし教室の世話人代表を務めた若き日の森田丈三が、橘文策と初めてこの席で出会って、見せられた分厚い辞典的記録帳に感銘を受けた話なども残っている。