鎌先商い

弥治郎の木地屋の女房は製品を風呂敷に入れて背負い、鎌先の旅館で部屋を廻って湯治客に直接売っていた。これを鎌先商いという。

鎌先商い

菅野新一は、鎌先商いの様子を次のように記述している。
「弥治郎の女房の仕事というと、なんといっても鎌先商いである。大きな木綿の風呂敷に亭主や伜の挽いた木地物を一ぱい入れて背負い、めいめい朝の八時半か九時ごろに家を出る。まず四軒の旅屋の帳場にあいさつし、それからみんなで借りている床屋の座敷に勢ぞろいする。ここでお茶を飲み世間話をしながら休む。十時ごろになると、来ない人はそのままにして、てんでに自分で見込みのある宿から向いを始める。前の日の売れ行きから大体の見当がつく。フスマなり障子なりをあげて『今日は、木地物細工えががでござりすベエ。どうかご覧なすてくなえ(下さい)』と風呂敷包みをわきにおいて、タタミに両手をついて頭を下げる。見せてくれといわれれば、室の中に入って全部広げ、お客さんの好みの物を売って、また次の室をあける。一軒か二軒の宿を回れば昼になり、宿屋の台所でてんでに御飯を食べる。それからまた商いして大体二時半ごろになると持って行った品物がなくなる。それから床屋にもどって来て、みんなそろってお茶でも飲んで話し合う。宿屋の売店から日用品や子供のおみやげなどを買う人もいる。もし 木地物が残ればそこにあずけておいて、から風呂敷で引き上げる。売り上げは亭主にわたす人も、自分で持っている人もいろいろだが、この商いだけは一家の財布持ちがやって、若い嫁などには決してさせない。〈山村に生きる人々〉」
この習慣は昭和30年頃まで続いていたが、それ以後はほとんど見られなくなった。
この商いのように、鎌先という単一市場で行なわれる直接販売方式は必然的に家々の競争を促し、結果として製品にも家々の個性が強く主張されるようになる。この特徴は弥治郎のこけしにもはっきり示されていて、弥治郎では同一系統内で形態、様式のバリエーションは他の系統に比べて比較的大きい。

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