団子梅

秋田県木地山で前垂れ模様に描かれるのは、家紋などで横見梅と呼ばれる紋様であり、小椋久四郎がこの様式を用いたこけしを作り始めた。
久四郎の長男久太郎は、父の様式を踏襲、初期には父同様の横見梅を描いていたが、昭和12年頃から横長ではなく円形に近い梅を描くようになった。この梅を蒐集家は団子梅と呼び、久太郎の円形に近い梅を描く時代を団子梅時代と呼ぶ。昭和12年以降、戦前の期間がほぼ団子梅時代である。
戦後はまた横長の梅を描くようになった。


団子梅時代の小椋久太郎
〔24.5cm(昭和12~3年頃)(沼倉孝彦)〕

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