テルヤ

大阪市南区長堀橋筋2丁目27にあった郷土玩具店。昭和11年3月ころ開店。経営者は木形子研究会同人の浦野泰正。夫人の名照子を取りテルヤという。夫人のほうが郷玩収集には熱心で、卯歳に因み兎の郷玩を集めていた。筒井が郷玩店より工芸店に転向し6~7年経ていたため、テルヤの開店は収集家待望のことであり、開店早々数百本のこけしがひっぱりだこであったという。米浪庄弌によれば、勘内、治助のこけしが多くあり、長い開売れ残っていたという。〈こけしの美〉17、18図の米浪蔵の勘内はこのときのものである。昭和12年1月5日~10日、大阪市長堀橋の高島屋6階で聞かれた木形子研究会主催による木形子展覧会の即売こけしは、すべてテルヤからの出品である。店はその後5年ほどでやめたというが、その詳細は不明。浦野泰正は競馬ファンで東北地方の草競馬めぐりの際、こけしを集荷したという。
テルヤに関わるエピソードはいくつか知られているが、例えば「〈木形子談叢〉に掲載された氏家亥一が気に入って、テルヤが氏家亥一に注文したところ、送られてきたものは、芳蔵木地に本多信夫や芳蔵が描いた全く別物であった。」、「昭和4年頃から大石組で働いていてこけしを作っていなかった土湯の阿部新次郎にテルヤが注文を出し、新次郎が昭和11年6月にやっと復活して作るようになった。」等々。


佐藤勘内〔右より 18.2cm、23.0cm()(米浪庄弌)〕 テルヤより入手 

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