明治26年4月5日、秋田県雄勝郡三梨字清水川の小野寺小三郎長男に生まれた。小椋啓太郎の描彩者小野寺岩蔵とは血縁である。職業は塗師。若いころに鳴子へ修業に行き、そのまま転住した。大正9年に東京都南葛飾郡へ移り、半年後再び鳴子町新屋敷へ戻った。
塗師のかたわら、松田初見のこけしを商ったので、昭利12年のこけし作者一覧番付では作者「前頭 陸前鳴子 小野寺常松」として名前が掲げられた。
下掲は小野寺常松名義の松田初見作で、〈美と系譜〉図版㉖に紹介されたもの。
〔30.5cm(昭和12年)(米浪庄弌旧蔵)〕小野寺常松名義 〈美と系譜〉に掲載された。
松田初見が製作者であり、小野寺常松が作者ではないことは、深沢要により〈こけしの微笑〉で訂正された。
小野寺常松は、昭和20年11月12日鳴子町新屋敷にて没した。行年53歳。
〔参考〕
なお、同こけし作者一覧番付には鳴子の沢口吾左ヱ門も並んで掲載されている。沢口吾左衛門は鳴子漆器改良組合長で明治21年に宮城県知事に漆器業の報告書(沢口吾左衛門文書)を提出した人物、こけし作者ではない。しかし、小野寺常松と同様に沢口漆器店でもこけしを扱っていたことがあったかもしれない。