栗山一太郎(くりやまいちたろう:1896~1945)
系統:山形系
師匠:小林吉太郎
弟子:
明治29年ころ、山形市に生まれた。父は旅館業を営んでいた。山形の小林吉太郎に師事して木地を修業し、年期が明け後入隊した。除隊後山形市の藤倉栄三郎機料店で働き、大正9年ころ北寺町の味田桶店の娘と結婚、山形の寺町大宝寺の近くで独立した。
その後東京日暮里で盆等を挽いていたが、戦争が激しくなり、昭和19年高崎栄一郎の紹介で山形市山辺の授産所に疎開した。昭和20年、肺炎で死亡した。行年は50歳であったと思われる。
木地技術の非常に優れており、日暮里時代には横山大観が彫刻する盆を注文で挽いたこともあったという。一太郎のこけしは全く残っていないが、こけしを挽き描いたことは当時の弟弟子等の証言で確かであろう。吉太郎から伝承した山形系のこけしを作ったと思われる。