菊地英次郎(きくちえいじろう:生年不明~)
系統:鳴子系
師匠:
弟子:
宮城県加美郡宮崎村湯川(現在の宮崎町)の出身。菊地三九郎の弟である。明治37年ころ、兄三九郎の師匠である鳴子の高橋勘治の弟子となり3年間木地を作業した。勘治につれられて、盛、忠志、誓と共に烏川(加美郡宮崎村との境の山)へ登ったこともある。
その後故郷の宮崎村に帰り、長く木地業に従事したが、後に中山平に移り、子孫は星ノ湯で菊地旅館を営んでいる。
英次郎はこけしも作ったといわれるが、作品は未確認である。
鳴子星ノ湯菊地旅館