菅原富蔵

菅原富蔵(すがわらとみぞう:1899~)

系統:肘折系

師匠:佐藤文六

弟子:

〔人物〕明治32年(推定)山形県最上郡旧及位に生まれた。13歳のとき、肘折から移ってきた佐藤文六の弟子となり、20歳て年期があけてからも、そのまま文六の職人をした。大正15年に院内には椀工場があって、鳴子から来た柴崎丑次郎や大沼熊治郎が働いたていたが、この工場を文六と菅原富蔵が見に来たことがあったという。落合滝の工場を作るための見学であったかも知れない。昭和元年に及位落合滝に工場がてき、文六がその運営にあたったが、富蔵はその工場でも働いた。昭和11年ころ北海道へ渡り、夕張炭坑で働いていたが、戦後落盤事故にあい死亡した。没年月日不明。


左より 後列:菅原富蔵、としを(文吉母)、きく(文六妻)、佐藤平吉、前列:菅野武志、鈴木国蔵、佐藤文六、舟入門蔵、佐藤慶太郎 大正8年7月

〔作品〕こけしも作ったというが作品は未確認である。
昭和32年東京こけし友の会が〈こけし手帖・14~15合併号〉の深沢要特集号を発行するにあたり鳴子に寄贈された深沢コレクションの目録を作成したが、その中に「菅原富蔵 5寸」が下掲のように記載されている。

下掲が深沢コレクションの目録に掲載された菅原富蔵名義の5寸である。
深沢要が及位の文六を初めて訪ねたのは昭和13年10月であり、恐らくその時には富蔵は既に北海道に渡った後であったろう。
いかなる経緯で下掲のこけしを入手したのかは詳らかではないが、おそらく深沢が弟子のこけしも所望したことに対して文六が自分で作って富蔵として深沢に送ったものかもしれない。あるいは残っていた富蔵の木地に文六が描いたものかもしれない。
下掲の面描等を見る限り、描彩は完全に文六の手になると思われる。


菅原富蔵名義の文六作〔15.1cm(昭和13年)(日本こけし館)〕 

〔伝統〕肘折系文六系列

〔参考〕

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