佐藤善八(さとうぜんぱち:1866~1937)
系統:遠刈田系
師匠:佐藤菊治
弟子:佐藤善作/佐藤善助/佐竹林之助/村上倉吉
慶応2年6月21日、佐藤善七長男として刈田郡宮村遠刈田新地に生まれた。明治11年より、姉よねの夫にあたる義兄佐藤菊治(周右衛門の弟)について二人挽の木地技術を学んだ。兄弟弟子に菊治の息子の重松、重吉兄弟等がいる。佐藤友情著〈蔵王東麓の木地業とこけし〉によると善八は田代寅之助の直弟子ではないが、影響をうけており、このときに一人挽ロクロに変わったらしい。
明治23年4月1日~7月31日の間、東京上野公園において開催された3回目の内国勧業博覧会には善八は傘独楽を出品している。
明治25年ころからは大宮源八工場で働き、同29年ころには、青根の小原仁平工場で職人をしていた。
明治28年4月1日から7月31日まで京都の岡崎公園で開催された第4回内国勧業博覧会に善八は盆を出品している。善八は丸物の玩具も、板物の盆も挽いていたことが分かる。
第4回内国勧業博覧会出品目録 (明治28年 京都の岡崎公園)弥治郎、遠刈田からの出品
明治31年より佐竹林之助を、同34年には甥の村上倉吉を弟子とした。また長男善助は明治40年より、次男善作は大正5年より善八につき木地を修業している。
大正の終わりころには木地を止め、昭和12年4月20日に没した。行年72歳。
こけしは残っていないが、佐竹林之助の修業時代には若干作ったらしい。林之助のこけしから推測
すると、甥の治平(菊治、よねの三男)に近い作風ではなかったかと思われる。
〔参考〕
- 山本陽子:内国勧業博覧会とこけし産地の木地業〈きくわらべ・4〉(令和2年10月)