新山栄七(にいやまえいしち:1848~1932)
系統:弥治郎系
師匠:新山栄吉
弟子:新山栄五郎/新山栄助
嘉永元年9月19日、宮城県刈田郡福岡村八宮の新山栄吉、いのの長男に生まれた。父栄吉は新山友蔵家から分家して木地を挽き、文久2年の弥治郎山神講中十軒の一つとしてその名を見る。父栄吉が分家して入ったのは、弥治郎を離れた佐藤市之丞が住んだ場所に建てた家という〈山村に生きる人びと〉。母いのは八宮村佐藤卯八の長女。栄七の妻女みわは同村の八巻佐蔵の三女で、栄七、みわ夫婦の長男が栄五郎、二男が栄助である。弟の栄四郎は遠刈田の佐藤周八の姪志んと結婚し、周八の夫婦養子となった。栄四郎長男が肘折に行った佐藤周助であり、新山栄五郎と佐藤周助は従兄弟である。
栄七は木地を挽いて、夜業にみわがこけしの描彩をした。新山栄五郎はみわの描彩を覚えていて、二人挽き時代の母みわの描彩を写した作り付けこけしをよく作った。
明治28年4月1日から7月31日まで平安遷都千百年紀念祭とあわせて京都山崎で開催された第四回内国勧業博覧会には、新山栄七が「人形」を出品した記録がある。おそらくこけしを出品したものと思われる。弥治郎からは他に高梨栄五郎、小倉嘉吉が独楽類を出品している。
第四回内国勧業博覧会出品目録(明治28年)
人形を出品 刈田郡福岡村 新山栄七
昭和7年2月7日没、行年85歳。
〔参考〕
- 山本陽子:内国勧業博覧会とこけし産地の木地業〈きくわらべ・4〉(令和2年10月)