小林辻右衛門

小林辻右衛門(こばやしつじえもん:1885~1963)

系統:肘折系

師匠:佐藤丑蔵

弟子:

〔人物〕明治20年3月1日、旅館業小林鉄五郎、フテの次男として岩手県和賀郡湯田町に生まれた。山仕事や鉱山師を本業としていたが、湯田で木工業を起こすことを考え、大正10年和賀郡木地伝習所を設立、遠刈田新地出身の佐藤丑蔵を木地講師として招聘した。ただし辻右衛門自身は木地伝習所の経営者であり、木地は挽かなかった。武井武雄著〈日本郷土玩具・東の部〉で作者として紹介されたが、この時代は経営者に注文を出し、注文者からこけしが送られたので、経営者名義で収蔵されたものがかなりある。作者でないことは深沢要の〈こけしの微笑〉で訂正された。戦後丑蔵が去った後、丑蔵より木地の指導を受けた小林善作(辻右衛門の養子)が木地業を受け継いだ。辻右衛門は昭和38年1月5日に没した、行年79歳。
 

〔作品〕本格的なこけし作者ではない。湯田時代初期の佐藤丑蔵のこけしはほとんど辻右衛門名儀であったため作者と誤解され、辻右衛門として所蔵された丑蔵作がある程度ある。辻右衛門本人のこけしは、いたずら程度に描いたものが若干あるが、本格的に作ったものではない。下掲のように団子鼻の凛然とした味ある筆致の辻右衛門描彩のこけしが久松コレクションにあった。戦後丑蔵や善作が、これを辻右衛門型として復活したことがあった。


〔123.0cm(昭和29年)(久松保夫旧蔵)〕辻右衛門の描彩

〔伝統〕肘折系文六系列
辻右衛門の娘愛の婿小林善作が丑蔵より技術を継承、孫娘光子(輝子)の婿小林定雄が善作より木地を継承して湯田のこけしを伝えた。辻右衛門二男の小林英一も短時間ながらこけしを製作した

 

〔参考〕

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