宮城県博覧会

明治10年には上野で第1回内国勧業博覧会が開催されたが、前後して各地においても博覧会や共進会が行われていた。明治13年には仙台においても博覧会が開催された。
仙台市史には下記のように紹介されている。

「明治13年8月8日仙台区公園に於て勧業博覧会を開く開期60日間規模悉く内国勧業博覧会に擬し陳列館を10区に別も出品は開拓使、勧農、商務、博物の3局並に教育博物館、東京監獄署、宮城集治監より3府28県に渉り、管内各郡を合せ総出品9.564種30.708点に達すしかし受賞者総数842人来館者54.597人売約9.941点に上る云々』然し館は第1、2、3、本館、機械館第1、2、農業館其の他園芸、花壇新聞縦覧所等ありて規模小なりといえども第1回に比すれば稍々体裁を備えたり。」

下掲は、埼玉県が宮城県および大分県で博覧会が開催される由を知らせる案内で、出品希望者は自費で代価と解説書を添えて出品するようにと書かれている。

博覧会の出品案内

この明治13年の宮城県博覧会には、弥治郎の佐藤常治(飯坂の佐藤栄治の師匠)が人形(おそらくこけし)を出品していた。

宮城県博覧会 明治13年

また鳴子地区からは早坂民治、大場泰治、遊佐安五郎、遊佐忠次郎らが木地製品を出品している。

宮城県博覧会 鳴子地区からの出品

早坂民治(みんじ)は田代の木地師で鳴子早坂隆の曽祖父、父の名も民治であるがこちらの読みはたみじ、遊佐安五郎、遊佐忠次郎(忠治郎)は沢口吾左衛門文書に漆器商として記載されている。大場泰治は沢口吾一の鳴子古地図に大沼栄三郎(大沼純の祖父)の隣家として記載されている。おそらく漆器関係者であったと思われる。
また秋田県雄勝郡川連からは漆器商の高橋利兵衛や佐藤七郎兵衛の出品もあった。高橋利兵衛は手広く販路を持った漆器商で代々利兵衛を襲名した。こけし工人になった藤原勝郎は、稲川町役場勤務時代に利兵衛家の膨大な古文書類の調査に加わったことがあった。

宮城県博覧会 秋田川連からの出品

〔参考〕

  • 山本陽子:内国勧業博覧会とこけし産地の木地業〈きくわらべ・4〉(令和2年10月)

 

 

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