筒井英雄が大阪日本橋の南詰に開業していた郷土玩具専門店。
筒井英雄は明治19年生まれの写真家で、大正3年ワンダース写真館を開業、早撮り写真「ワンダース」として全国的に知られた。筒井英雄が何時どういうきっかけで玩具に興味を持ったかはっきり分からないが、大正期には関西の趣味の会「娯美会」に入り、外国玩具の蒐集家と看做されていた。因みにこの「娯美会」には川崎巨泉(末吉)―玩具、梅谷紫翠(秀文・歯科医)―玩具の天神、青山一歩(冬樹・会社員)―社寺及び土産杓子、河本紫香(正次・傘商)―伝説玩具の牛、西田静波(清次郎・棕梠商、亀楽堂)―納札など、こけしの蒐集家としても知られる人たちが多く入っていた。
おそらく外国玩具から入り、「娯美会」を通してこけしにも興味を持ち郷土玩具の店を開業したのであろう。また友野祐三郎の主宰する「婢子会」の会員でもあった。 郷玩店の営業期間は大正後期から昭和一桁時代までであろうか。
「道頓堀南詰東角の百円から家賃のとれる角家の立派な場所を、利害を少しも見ないで、ただ蒐集に夢中になって多額の費用を投じて羨ましい程珍しいものを並べた店とされました。僅かな年数でしたが、どこ迄も売る一方でなく、あく迄趣味を持って扱っていた」–と田中緑紅が〈鳩笛〉創刊号に書いている。
橘文策が、この店で手にした佐藤栄治6寸がこけしを集めるきっかけになったことや、勘治はじめ何本もの優品が出たとき、値段が高いので買うべきか買わざるべきかを迷っていると、筒井のおかみさんに「でたときはこうときなはれ」と言われた話はよく知られている〈こけしと作者〉。
〔 18.5cm(大正末期)(橋本正明)〕橘文策旧蔵 (筒井から出た栄治)
筒井は東北の産地に直接出向いてこけしを買い集めたようで、高橋勘治(盛一家)、佐藤栄治、岡崎長次郎などを売っていた。それらは大正13年から15年にかけて「婢子会」から発行された〈日本土俗玩具集〉の第二輯に載った。
筒井は、大正13年名古屋松坂屋の土俗玩具展、東京主婦の友社主催の郷土玩具展にも出品している。
筒井英雄は昭和10年4月17日に50歳で亡くなった。筒井の扱ったこけしのうち、亡くなる頃まで残っていたものは、昭和14年から16年ころにかけて東京有楽町の「吾八」に出て売り立てられた。
多く流布している5寸ほどの作りつけの岡崎長次郎大正期の作、勘治一家の小寸、飯坂の栄治などが「吾八」で売られたものとしてよく知られている。
「吾八」の〈これくしょん 45号〉(昭和16年2月)で売り立てられたこけし
おそらく筒井からでたものと思われる
勘治一家、佐藤栄治、岡崎長次郎
〔参考〕
- 木人子室: 筒井玩具店があったあたり