岩松直治

岩松直治(いわまつなおじ:生年不明~)

系統:作並系

師匠:岩松直助

弟子:

宮城県作並の木地師岩松直助の息子、おそらく長男と思われる。弟もいたが、弟は明治10年5月10日に、直治は明治11年9月12日に亡くなっている。舎弟は西南の役(西南戦争)に従軍し、そのための死であったと言われている。
過去帳には、「眞應正寿信士 岩松直治舎弟 木地屋」「法眼慈明信士 木地屋 岩松直治 故」とあるから岩松直治の二人の息子も木地を挽いていたことが分かる。

興源寺過去帳より

直治には妻けさがいたが子供はなく、早坂家から幾三郎を養子に迎えた。また直助には長女つるがいたが、つるは明治26年に山形の小林倉治の養女となって作並を離れた。直治の妻けさは明治20年4月7日に32歳亡くなった。
倉治の養女つるは後に平賀太五郎の後妻となって作並に戻った。
岩松直助一家は、作並のこけし発生に関わる重要な位置にあったが、直助が明治8年に亡くなり、息子たちも西南の役による戦傷で相次いで亡くなったので、こけし発生の詳細な経緯は伝わらなかった。

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