小椋正勝

小椋正勝(おぐらまさかつ:1986~)

系統:木地山系

師匠:小椋正吾

弟子:

〔人物〕昭和37年1月13日、秋田県雄勝郡稲川町大舘字屋布前の木地業小椋正吾の一人息子に生まれる。正勝の曾祖父小椋庄太郎は慶応元年1月16日に木地山の小椋徳右エ門、マサの次男として生まれている。明治32年に分家して川連大舘へ下りた。小椋久四郎、石蔵の兄にあたりこけしも作ったと思われるが、作品は確認されていない。小椋庄太郎、リンの次男が小椋正治、正治、シエノの三男である父の小椋正吾も木地業を継ぎこけしも製作した。正勝は古い木地師一家に生まれた。
稲川町立古四王中学校から大曲東高等学校(現在、秋田修英高等学校に改称)に進み、昭和55年3月に卒業した。漆器椀木地を稲川町の井上吉蔵に就いて4年間修業した。さらに父正吾のもとで修業を続け、椀、盆等を製作した。こけしは昭和61年に僅かに製作した物が知られている。以後も自宅で木地業を続けたが、平成3年頃30才を前に北関東に転出した。ガソリンスタンドに勤めていたが、現在は所在不明。社交的で人に好かれる人物であった。

小椋正勝

〔作品〕父の小椋正吾は木地山の久太郎の指導を受け、久太郎の様式を継いだこけしを作った。
正勝のこけしもその様式を継承して作り始めている。製作期間は短く、こけし専業ではなかったので作品数はすくない。


〔15.5cm(昭和61年7月)(中根巌)〕胴背に「小椋正勝 初作」と記入がある

系統〕木地山系

 

〔参考〕

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