佐藤慶太郎

明治39年及位駅前の大工佐藤松治の弟に生まれた。14歳より24歳まで\及位木工場で佐藤文六の弟子となり木地を習得した。昭和15年北海道へ渡りまもなく病死した。こけしも作ったというが作品は確認されていない。
下掲写真右端は14歳で入門間もない慶太郎である。


左より 後列:菅原富蔵、としを(文吉母)、きく(文六妻)、佐藤平吉、前列:菅野武志、鈴木国蔵、佐藤文六、舟入門蔵、佐藤慶太郎 大正8年7月

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