佐藤文吉(さとうぶんきち:1839~1896)
系統:遠刈田系
師匠:佐藤円吉
弟子:佐藤久吉
天保10年3月5日、宮城県刈田郡遠刈田新地の佐藤円吉二男に生まれた。修業は二人挽で父円吉より習ったと思われる。茂吉家の祖佐藤千代吉の養子となり、久吉家からきたとらと結婚した。その関係で明治6年より同9年まで久吉を弟子とし、指導した。明治17年に同じ吉郎平家の甥にあたる茂吉を養子とした。長男文治は茂吉に師事し、二男文平、三男文六、孫の丑蔵等は文治より木地を習得した。佐藤友晴著〈蔵王東麓の木地業とこけし〉によると文吉もこけしをかなり作っており、吉郎平系列のこけしと想像されるが、作品は残っていない。
明治28年に京都岡崎公園で開催された四回目の内国勧業博覧会には佐藤周治郎、重松とともに出品し、文吉は時計台を出品している。
明治29年12月24日没、行年58歳。長男茂吉の五女としをは及位の文六の養女となり及位の文吉を生んだ。従って、遠刈田の文吉は及位の文吉の曽祖父に当たる。