小林吉次

小林吉次(こばやしきちじ:1881~1922)

系統:山形系

師匠:小林倉治

弟子:武田卯三郎

明治14年8月6日、小林倉治五男として山形市に生まれた。明治25、6年から4年間米沢の小間物問屋に丁稚奉公に出さ、帰郷後父の倉治に就いて木地を修業した。弟吉三郎によると香具師(露天商)の仲間に入り、各地を売り歩いたという。明治39年に肴町の米本才一郎長女ミヨと結婚した。武田卯三郎は吉次の弟子である。大正4年、山形市鍛冶町に分家し、大正11年10月19日42歳で没するまで同所で営業していた。倉吉の弟子で吉次のことをよく知っていた高崎栄太郎によると吉次はこけしがうまくたくさん作っていたという。ただし、作品は確認されていない。

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