佐藤太左衛門

〈陸奥乃小芥子〉の弘前の解説部分に次のような趣旨の記述がある。
津軽の木地業は古く藩政時代にさかのぼり、温湯には8軒の木地屋が居たといわれる。佐藤家はその一つで代々太左衛門を名乗り、6代前の祖が嶋津の祖について木地を学んだのが始まりという。こけし作者佐藤伊太郎も祖父太左衛門、父伊助について木地を習得した。
この記述は恐らく木村弦三の佐藤伊太郎からの聞き書きによるものと思われる。


〈陸奥乃小芥子〉

ところで、明治23年に東京上野公園において開催された第3回内国博覧会の出品目録には、下掲のように陸奥国南津軽郡山形村の佐藤多左衛門という木地師が「茶具」「手遊」(玩具)を出品している。


第3回内国勧業博覧会出品目録 温湯、大鰐からの出品

一方で第4回内国博覧会出品目録(明治28年)には、下掲のように陸奥国南津軽郡山形村の佐藤太左衛門という木地師が「挽き物 茶碗入、杓子」を出品している。


第4回内国勧業博覧会 津軽からの出品(木地製品の区分)

この太左衛門と多左衛門は恐らく同一人であろう。いずれの表記が正しいのか確定はできないが、新しい第4回の表記、および木村弦三の採録の「佐藤太左衛門」が正しい表記と思われる。
太左衛門は家名であるから、この第3回、第4回の出品者は、伊太郎の祖父太左衛門、あるいは父の伊助と思われ、この時期に「手遊」の玩具を製作していたことを確認できる。

〔参考〕

  • 山本陽子:内国勧業博覧会とこけし産地の木地業〈きくわらべ・4〉(令和2年10月)

 

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