島津彦蔵(しまづひこぞう:1859~1922)
系統:津軽系
師匠:島津茂兵衛
弟子:島津彦作
安政6年ころ島津茂兵衛長男として青森県南津軽郡山形村大字温湯字新道に生まる。島津家は代々温湯の古い木地師で、津軽こけしの探求者木村弦蔵(木村弦三)によれば津軽系の木地師は戦国時代から元禄時代にかけて山形地方から移住したらしい。島津、盛、山谷、斎藤、佐藤の諸家が温湯では知られている。温湯地方には古くから排他的な木地組合があって、島津家もその木地組合のメンバーであった。木地挽は代々長男以外には継がせず、彦蔵は父茂兵衛から木地技術の伝承を受け、長男彦作にこれを伝えた。したがって二男の彦三郎は父彦蔵から木地を習うことができず、大正2年ごろ一家が大鰐に移った後、彦三郎は大鰐の田中重吉から木地の技術を学んだ。彦蔵は大正11年9月25日に大鰐で没した、行年64歳。
彦蔵は明治期の開催された内国勧業博覧会に何回か出品している。
明治23年の第3回内国勧業博覧会には杯、明治28年の第4回内国勧業博覧会には茶碗入、杓子、茶入れを出品した。
〔参考〕
- 山本陽子:内国勧業博覧会とこけし産地の木地業〈きくわらべ・4〉(令和2年10月)