高梨栄治

高梨栄治(たかなしえいじ:1900~)

系統:弥治郎系

師匠:高梨栄十郎

弟子:

〔人物]明治33年11月27日、宮城県弥治郎の木地業高梨栄十郎・むきのの長男として生まれた。栄十郎(通称寅五郎)は明治35年むきのと離別し、後妻すてを迎えた。しかし、栄十郎およびその兄高梨栄五郎は大正5年に弥治郎で流行った赤痢に罹患し、ともに福岡村の仮隔離病舎で亡くなった。
高梨栄五郎、栄十郎兄弟の父の高梨栄三郎は弥治郎の新山栄吉の二男で、嘉永3年11月5日生まれ、妻女やのは新山久蔵長女で、高梨由松の夫婦養子となった。すなわち高梨栄三郎は新山栄五郎の叔父、妻女やのは新山久治の伯母にあたる。
栄三郎・やの夫婦ともに新山の出であり、栄三郎家では木地挽きは堪能であったと思われる。
高梨栄治の父栄十郎や叔父栄五郎が亡くなった大正5年には、高梨栄治は17歳(数え年)であり、木地はある程度挽けるようになっていたと思われる。没年は不明。

〔作品〕高梨栄治作と確認できる作品は残されていないが、「高梨栄治」と署名のある作品は清水寛旧蔵品中にあった。清水寛著の〈美しきこけし・別冊〉によると高梨栄治は「高梨寿治(正しくは小藤治)につき木地修業し高梨のこけしを若干作った」とある。小藤治は高梨栄治の5歳年長の従兄であるから、小藤治による指導はあったかもしれない。戦後における高梨栄治のこけし製作については他に報告はなく詳細は不明である。清水旧蔵の高梨栄治名義のこけしは現在中根巌蔵品中にある。昭和50年ころの高梨栄治の作とすれば75歳くらいのときに作ったのかもしれない。


〔17.3㎝(昭和50年ころ)(中根巌)〕清水寛旧蔵

〔参考〕

  • 橋本正明:高梨家の崩壊〈木でこ・42号〉名古屋こけし会(昭和45年11月1日)
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