高梨寅五郎(たかなしとらごろう:1878~1916)
系統:弥治郎系
師匠:高梨榮三郎
弟子:
明治11年11月28日、弥治郎の高梨栄三郎、やのの二男として生まれた。戸籍名を栄十郎、通称寅吾、寅五郎と呼ばれていた。高梨栄五郎は長兄。父栄三郎について木地を習得し、しばらく佐藤栄治の職人をしたので、栄治 の指導も受けた。〈東京こけし・8〉によれば寅五郎は渡邉幸治郎、新山栄助と共に小原で競争して製品を売ったという。こけしその他の木地製品を作り、女房すてが鎌崎、小原で商っていたという。大正5年8月28日、赤痢のため弥治郎の仮隔離病舎にて死亡、行年39歳。こけしは未確認である。兄の栄五郎が同年9月1日に、母やのが9月14日に同様に赤痢のために亡くなっており、他にも多くの家族がこの時に亡くなった。
寅五郎の作品は確認されていない。