照井哲也

照井哲也(てるいてつや:生年不明~)

系統:南部系

師匠:佐々木与始郎

弟子:

〔人物〕  昭和45年8月1日発行の〈こけし手帖113号〉で柴田長吉郎が執筆した「南部佐々木家の工人たち(2)横川目の工人・与始郎」に、南部系工人佐々木与始郎の横川目時代の弟子・照井哲也がこけし製作をした旨記述がある。以下、該当箇所を引用する。

”覚平が木地挽きを習った頃、覚平より一つ年上で照井哲也という与始郎の弟子が仕事をしていた。この人は、与始郎と一しょにこけしを挽き、それにセンが描彩をしていたが、やがて哲也も描くようになった。現在では木地挽きを止め、花巻の谷村新興製作所で旋盤をやっているという。そのほか、清吉、利美などという名前の人々が居たが、いずれも現在は木地業から離れている。〈こけし手帖113号〉”

内容は佐々木覚平の証言によるものと思われるが、覚平は一家が横川目に移転後の昭和8年に生まれ、小学校時代から父について木地修業をしていたというので、照井哲也のこけし製作時期がいつ頃であるか特定し難い。照井が転業した振興製作所の花巻工場ができたのは昭和20年、覚平は昭和24年より数年、北上市の木工所で新型こけしの木地を挽いた後、こけしを製作している。与始郎は昭和26年9月、亡くなる1ヶ月前までこけしを製作した。センは与始郎の没後、昭和36年以降覚平木地に描彩を再開するまでこけしの描彩をしなかった。

〔作品〕  横川目時代の与始郎木地・セン描彩とされるこけしの中には照井哲也や他の弟子の木地が存在するかも知れない。照井自身の描彩がセンと同じようであったかどうかは不明である。

〔伝統〕  南部系・佐々木与始郎の弟子。

〔参考〕

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