土湯は往古幾度かの災害に見舞われている。土湯木地業あるいは土湯のこけしの歴史は、こうした災害によって大きな影響を受けてきた。
特に幕末戊辰の役による土湯村の焼失、昭和2年、昭和29年の大火は土湯に伝わった古い文化を失わせ、生活の基盤にも影響を与えた。
また明治23年、36年、43年の水害も、こけし工人の生活に大きな変化をもたらせた。
明治23年の水害では、斎藤太治郎の実家東屋は流失、一族は飯坂湯野に移った。太治郎は湯野で小学校教員を務め、明治34年に土湯に戻ってもとの東屋の地で木地業を始めた。しかし43年の水害で再び店を流失した。その体験に促されて大正2年に〈土湯洪水史〉を著した。
佐久間浅之助は明治23年の水害で大打撃を受け、その損失を取り戻すために木材業に手を出したが、買い付けてあった木材が明治36年の水害で流失し、再起不能となって一族は土湯を去ることになった。
このように、土湯における災害はこけし工人の家族史を記述する場合に、決して看過することはできない。
土湯の近世以降の主な災害史の年表を以下に示す。
延宝 8年 | 1680 | 8月から大雨、荒川大洪水 |
貞享元年 | 1684 | 荒川大洪水 |
元禄元年 | 1688 | 荒川大洪水 |
宝永7年 | 1710 | 荒川洪水 |
享保19年 | 1734 | 荒川氾濫 |
明和 3年 | 1766 | 6月 荒川洪水 |
天明 4年 | 1784 | 大凶作餓死者36名 |
天明 7年 | 1787 | 6月13日 土湯村で、鳥谷場山山崩れ、死者22名 |
文政7年 | 1824 | 8月14日 土湯村で、家屋流失10戸、埋没3戸松川大洪水 |
嘉永 3年 | 1850 | 土湯大火 興徳寺本堂焼失 |
天保 2年 | 1831 | 7月16~18日 土湯村で家屋浸水、8戸流失、3件崩壊、畑地2反 |
安政 3年 | 1856 | 8月24~25日 土湯村家屋流出5戸 |
文久 3年 | 1863 | 5月2日 荒川上流で堤防欠壊 |
慶応 4年 | 1868 | 戊辰の役 会津軍による全村を焼き打ち |
明治23年 | 1890 | 8月 大水害 |
明治36年 | 1903 | 大水害 浅之助貯木を失う |
明治43年 | 1910 | 8月 台風による洪水 |
大正 2年 | 1913 | 8月 台風による洪水 |
昭和 2年 | 1927 | 土湯村大火 |
昭和13年 | 1938 | 大洪水 土石流 |
昭和29年 | 1954 | 土湯村大火、102軒焼けて1名死亡 |