昭和6年に鹿児島市で開催された国産振興博覧会の出品目録には盛岡の本町吉田勘次郎の名で「キナキナ坊」の記載がある。これは吉田木工所の出品であろう。
東京こけし會編〈こけし作者一覧番付〉(昭和12年8月)や、〈東北の玩具〉(仙薹鐡道局編纂)(初版:昭和13年、再版:昭和14年)の巻末に載った「こけし這子製作地一覧表」には、盛岡の項の製作者として安保木地工場に加えて、吉田木工所の名がある。〈東北の玩具〉では、その住所を盛岡市本町とした上で、「キナキナ坊の製作者なるが、目下製作中止の趣、近く再製作に着手するという」という記事が添えられている。
古い蒐集家のコレクションの中には、しばしば「吉田木工所」と記入のあるキナキナが存在する。下の写真は石井眞之助旧蔵のキナキナであり、胴底に「吉田作 盛岡キナキナボッコ」の書き込みがある。典型的な南部のキナキナの形態に、肩の上部と胴裾に3本づつのカンナによるロクロ線の溝を付けているのが特徴である。キナキナとしては趣向もあって佳品である。
作者は寺沢政吉の長男の省一郎と思われる。〈東北の玩具〉には「近く再製作に着手する」と書かれていたが、省一郎はその後、県の工芸指導所教官となって一生を終えたので、吉田木工所のキナキナ製作は昭和10年ころまでであったろう。現存する数は必ずしも多くはなく、蒐集家に渡った作品数もおそらく限定的であったろう。
橘文策の〈こけしざんまい〉「こけし紀行 盛岡」には、橘がこけしを求めて盛岡市内を歩き、本町の吉田時計店でおしゃぶりを購入したという記載がある。時計店の主人が奥から持ち出した晒しの風呂敷の中に、おしゃぶりが千個以上あったとある。寸法違いで10本ほど購入したが、胴にロクロ線が入ったのを一つ見つけたとも書かれている(昭和7年)。 この吉田時計店には木工所が併設されていたから、吉田木工所と吉田時計店は同じと考えてよい。
作者は吉田木工所で働いていた寺沢省一郎であろう。