漢字表記は「綛」。本来の意味は、紡いだ糸を取り扱いに便利なよう、一定の大きさの枠に一定量巻いて束にしたもの。その束を一綛、二綛と数えた。綿糸の場合、一綛は約768メートル。
こけしで「かせ」という場合は、土湯系のこけしの前髪の両横、鬢の上部に描かれる赤色を主体とした模様を言う。遠刈田系や弥治郎系のこけしにも「かせ」という表現を使う人もいるが、これは「鬢飾り」というのが一般的である。また、我妻勝之助の黒頭に描かれる横長の赤い飾りを「かせ」と呼ぶこともあるが、これは手絡の一種であろう。巻いた糸の束を捩った塊の形状が、土湯こけしの鬢上部の模様と似ているので「かせ」と呼んだと思われる。
ただし、この紋様の原型は何かといえば、おそらく水引手であろう。水引手は御所人形の頭部の紋様であり、東北の主な土人形にも継承された。水引手において前髪から後ろに伸びる黒い髪が、土湯の場合には蛇の目で描かれるようになり、水引の左右の紋様が「かせ」と呼ばれるような形に変わっていったと思われる。
土湯こけしの「かせ」に注目して、その形状の分類に傾注したのは鹿間時夫である。〈こけし襍記〉では、土湯の各工人の一覧を図示して見せたし、〈こけし 美と系譜〉図版46には、各工人のかせの写真を24例も示している。この「かせ」の形象は、工人にとって本人の紋章のようなものだとも書いている。
鹿間時夫の「かせ」分類は、のの字、玉かせ、うろこ手、水引手などであるが、この区分の基準がわかりにくいこともあって、この呼び名が一般的に使われているわけではない。
一方で、工人によって、例えば佐久間由吉のように、かせの描法が年代鑑別の指標となる場合がある。