我妻市助(あがつまいちすけ:1921~1944)
系統:遠刈田系
師匠:佐藤好秋
弟子:
〔人物〕 大正10年、宮城県柴田郡青根の木炭業我妻市三郎、せよの長男に生まれる。青根の我妻芳夫は実弟にあたる。父市三郎の弟は我妻吉助で、吉助は遠刈田新地の佐藤好秋について木地を修業していた。その縁で昭和12年3月より、好秋の見習いとなって木地を学んだ。こけし、盆、柄杓、糸廻し、雑器など一通り挽けるようになっていた。昭和14年8月渡辺鴻が遠刈田訪問の折、木地を挽いていた市助を発見、自ら企画していた雑誌〈鴻〉の発刊に合わせて、新作者紹介として第一回の頒布を市助で行った。下記が〈鴻・1〉に載ったその頒布の写真である。
昭和15年 〈鴻・1〉により頒布されたこけし 尺(1円30銭)、8寸(80銭)、6寸(50銭)だった。
〈鴻〉による頒布の後、軍需品などの注文多く、こけしはほとんど作っていない。昭和16年、海軍に入隊、昭和19年6月1日戦死した。行年24歳。
我妻市助 昭和14年8月 〈鴻・1〉より
左:我妻市助 右:佐藤好秋 昭和17年8月29日帰省中 撮影:田中純一郎
〔作品〕 昭和15年7月28日発行の〈鴻・1〉が初出の文献で、このとき頒布されたこけし、および同時期につくられたものが残るものの大部分であろう。残る作品数は多くはない。極初期のものは頭の縦横が同じくらいであったが、まとめて作ったものはやや縦長のものが多かった。
面描は好秋の影響よりも、友晴の影響が強い。おそらく友晴を手本として描彩を学んだと思われる。
〔伝統〕 遠刈田系吉郎平系列