赤物というのは赤い染料を使った玩具や土産物のこと。木製玩具、土人形、張子などでも広くこの呼称は使われた。
赤は疱瘡(天然痘)から守るといってこの赤物を喜んで買い求め、子供のもてあそび物にした。赤物玩具を作る人のことも、赤物玩具を背負って行商に売り歩く人のことも赤物師と呼んでいた。
伏見人形や鴻巣の赤物は有名。
木地を挽いて作る赤物のもっとも盛んな産地は小田原や箱根。それが江戸末期、文化文政から天保の頃に東北に伝わった。東北の農民達がさかんに伊勢詣りや金比羅詣りに行って、その途上、小田原、箱根の木地玩具(赤物)を見るようになったことが一つの要因。湯治の農民達も土産物としてこの赤物の木地玩具を望むようになった。いままでお椀やお盆のように白木のままの製品を出していた木地師が、色を付けた製品を作るというのは大きな技術上のステップを登ることである。木地師が山から降りて湯治場に定着し、湯治客と直接接して赤物の需要に応えるということが、このステップアップを促した。
こけしの発生は、このステップアップがなければ起こらなかった。