こけし応用品

こけし応用品は、こけしの形態を応用して製作された品で、こけし蒐集時代の初期から今日まで種々の目的を持って各種作られてきた。

昭和22年12月、川口貫一郎は、「こけし応用雑器の栞」を上梓して、75種のこけし応用品を紹介した。川口の本には、日用品、食器、学用品、衣類、家具、嗜好品など何れもこけしをテーマにした応用品が数多く掲載された。これらは戦前こけしブームが高まる程に数多く作られ、例えば東京こけし会の会員証は佐藤喜一の豆こけしを付けたネクタイピンであった。

川口貫一郎 編「こけし応用雑器の栞」

昭和15年8月の日本橋高島屋で開催された「こけし人形展覧即売会」の午餐会で大阪の米浪庄弌からこけし土鈴が配られた。戦前の名古屋こけし会、関西こけし会など各地のこけし会では、本来の蒐集品以外の応用品がかなり多数作られ、各種記念の度に配られた。また第2次世界大戦の際、慰問袋に少寸のこけしが入れられたことも有った。盛岡市茅町百美屋の石井峰吉(袖珍こけし73番作者)は1万本の創作こけしを作り、また江崎孝坪(長野県上伊那郡高遠町(現・伊那市)出身の日本画家)はこけしに祈武運長久の文字を書き戦地慰問に送った。


石井峰吉 袖珍こけし(箕輪新一)

石井峰吉は新型作者であるが、東京こけし会の袖珍こけしシリーズに名を連ねているのは慰問こけしの製作に協力したなどの功績を考慮したのかもしれない。


土鈴こけし(箕輪新一)

このように、伝統こけしばかりではなく各種のこけし応用品が、喜びにつけ、悲しみにつけ特別な場所、場面で、使われて来た歴史がある。これらは観光地の土産、記念品、スーベニールとしての意味を持つものから、お守り、護符、依代などの性格付けられたもの、またある種の目印、記章などとして作られたものなどがある。戦前の富士山子育人形、伏見の狐化子などは護符としての性格がより強いし、東京こけし、采女人形、江の島こけしなどは観光地の記念品としての性格を持つ。


采女人形等〈竹とんぼ・4号〉昭和16年12月30日
上掲 右 采女人形 皇紀1333年天武天皇の御代、葛城王が陸奥巡察に安積の国に登った時の悲恋をテーマにしたこけし。胴の花は郡山の花「花かつみ」である。
中 江の島こけし 江の島弁財天をテーマにしたこけし。
左 郡山こけし 郡山咲田町の兜商会で製作された。


伏見こけし〈竹とんぼ・4号〉昭和16年12月30日

上掲の伏見こけしは、川崎巨泉が、伏見の狐化子として絵と共に紹介したもの。伏見稲荷参拝記念として伏見の大西新太郎が作った土製の物。頭部は、秋保の青坊主、胴は黄鳴子で宝珠に鍵が描かれ、一種のお守りになっている。
このほかにも、こけし封筒、こけし便箋、こけしノートなどの文房具、こけし箸置き、こけし楊枝入れ、こけし小風呂敷、こけし手拭などの日用小物など、多様なこけし応用品が作られ販売されている。これらはこけしグッズと呼ばれたりする。


通信こけし〈鴻・9〉 昭和16年

こけしグッズにはこけし工人が関わって作られるものと、こけしの意匠だけを取り入れて工人が関わらないものとがある。
令和2年に作られ始めたアマビエこけしは、こけし工人も積極的に取り組んだ応用品の一範疇と考えていいだろう。
アマビエは日本に伝わる妖怪。海中から光をかがやかせるなどの現象を起こし、豊作疫病などに関する予言をしたとされる。同種と考えられる存在にアマビコアリエなどがある。


『肥後国海中の怪(アマビエの図)』部分(京都大学附属図書館所蔵)

アマビエは、江戸後期弘化3年(1846年)4月中旬の瓦版に類する刷り物(上掲)に、絵と文とが記されている。それによると肥後国(現・熊本県)の夜、海に光る物が見られ、アマビエと名乗るものが出現し、土地の役人に「当年より6ヶ年の間は諸国で豊作がつづく。しかし同時に疫病が流行するから、私の姿を描き写した絵を人々に早々に見せよ」と予言めいたことを告げ、海の中へと帰って行ったとされる。
令和元年末に発生した新型コロナウィルス(COVID‐19)は、令和2年に入ってパンデミックとなった。防疫対策として人の物理的交流も経済活動も大幅な自粛を余儀なくされ、未曾有の危機、鬱屈した社会情勢に、日本ではアマビエの絵やイラストを描き、疫病退散を願う動きがあり、SNSで広がった。京都大学図書館が所蔵するアマビエの瓦版(上掲)を元に、アマビエをアレンジした作品、ぬいぐるみ、フィギュア、漫画、刺繍、達磨などと共に、御朱印の印判にアマビエを用いはじめる寺院や神社も日本各地で見られるようになった。
こうしたなかアマビエこけしが誕生した。形態はこけし型、達磨型、独楽の付いた木地玩具型など種々あるが、東北のこけし工人が作るこれらの作品を総称してアマビエこけしと云われる。コロナ終息の願いをこめた創作活動の一環として護符やお守りとして作られている。
宮城県白石市の弥治郎こけし業協同組合理事長の新山実は一日でも早い終息の願いを、こけし産地から発信したいと考え、アマビエの絵を参考に長い髪、くちばしのように突き出た口、魚のようなうろこ、3本の足が付いた体を明るい色彩で絵付けした。また同市福岡知中学で全校生徒を対象にアマビエの絵付け教室を開催した。
 この他にも弥治郎を始め鳴子、津軽、土湯、いわき、鳩山などの工人等がアマビエこけしを発表している。疫病退散が大きな世界的目標である以上、日本では色々な場所で、場面でアマビエの創作物が作られるであろう。


鳴子 早坂利成・せつ子 アマビエこけし


鳩山 吉野誠二 アマビエこけし(箕輪新一)

アマビエこけしは伝統こけしの範疇外ではあるが、本来の伝統こけしにおいても赤物玩具と呼ばれていた時代には、赤色に疱瘡除けの効力を期待して幼児に持たせていたという背景もあり、疫病封じという民俗的な発想や期待においては性格的に発生期のこけしに近いとみることも出来る。

〔参考〕

  • 目黒一三:盛岡で活躍した二工人ー石井峰吉と中井汲泉〈こけし手帖・715〉(令和2年8月)
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