秋山とらよ(あきやまとらよ:1885~)
系統:鳴子系
師匠:
弟子:
明治18年4月27日、宮城県栗原郡高清水町の梅崎利助、まさのの長女に生まれる。明治41年鳴子の秋山耕作と結婚、のち耕作とともに南津軽郡蔵館、大鰐へ移り、大正12年に鳴子に戻った。耕一郎、耕二郎など四男五女をもうけた。
昭和14年頃より、こけしの注文が来るようになり、耕作が木地を挽いたが描彩を行なわなかったので、とらよが描彩を行なった。耕作名義のこけしはとらよの描彩である。耕作描彩は、米浪庄弌が鳴子に来て耕作に直々に頼み込んで描いてもらった二本のみ知られている。
耕作は、戦後はほとんど製作しておらず、従ってとらよも戦後は描彩は行っていない。
なお、とくよと言う名称で紹介されたこともあるがとらよが正しい。
没年は不詳。
〔16.2cm (昭和16年)(高井佐寿)〕
木地耕作、描彩とらよ 秋山耕作名義