青森県青森市浅虫。東北地方で有名な温泉地の一つ。東北本線浅虫駅下車。一方を海に面し、三方を山に囲まれているため、木地業も盛んに行なわれた。最も吉いこけし作者と伝えられるのは、温
湯の斎藤宰兵衛の祖父の姉に婿養子として入った浅虫出身の木地師で、間もなく離縁になって浅虫に帰り、温湯で覚えたこけしを作ったという。浅虫に帰った年代ぱおそらく明治初年で、大正年間まで営業していた。大正3年に浅虫に行った伊藤松三郎は「キヅスキヤマ(木地挽山)」と称する場所で、老人がジョウバツチ(温湯・大鰐地方特有の木地玩具)を挽いているのを目撃している。姓名は不明であるが、松三郎が浅虫にいる間にその木地師は80余歳で没し、未亡人は青森市栄町の実家へ帰ったという。そのロクロは大鰐方面の様式で、妻女が車を手で回すようなものだったらしい。
浅虫の木地業が最も盛んであった時期は大正初年ごろから8年ごろまでで、島津勝治の木工所に鳴子の大沼熊治郎・甚五郎・伊藤松三郎、花巻の佐藤末吉、弥治郎の小倉茂松・佐藤味蔵、青根の佐藤久蔵などがきて働いた。玩具なども挽いたというがこけしは作らなかったらしい。
浅虫産のこけしは確認されていない。
浅虫の木地業は大正年間までで、こけし収集家がたどり着く前に浅虫は既に廃絶産地となっていた。
〔参考〕
- 箕輪新一:白鳥文書ーよりみち③-〈こけし往来・60〉(平成31年4月)