大正年間に青森県浅虫温泉で木工所を経営していた人物。島津勝治自身の経歴や消息ははっきりしない。
島津勝治の工場では、鳴子から来た大沼熊治郎(大正5年ころ)、大沼甚五郎(大正2年)、伊藤松三郎(大正2年)、花巻から来た佐藤末吉、青根から来た佐藤久蔵(大正6~8年)、弥治郎から来た佐藤慶治(大正4~5年)、小倉茂松(大正6年ころ)、佐藤味蔵(大正8年ころ)らが働いた。盛んに営業した時期は大正初年から8年ごろと思われる。
浅虫は一方を海、三方を山に囲まれた温泉地で、木地業も盛んに行われた。この島津の工場では、おもちゃも盛んに作り、また盆や茶壷なども挽いたと松三郎は語っている。
こけしも作られたようであるが浅虫産のこけしは確認されていない。