鮎川栄吉(あゆかわえいきち:1931~2017)
系統:鳴子系
師匠:岡崎斉
弟子:
〔人物〕 昭和6年5月20日、宮城県鳴子町に生まる。父は表具師の鮎川弥市。父弥市と岡崎斉が尋常小学校で同級だった関係から、栄吉は尋常小学校卒業後、斉の弟子となって木地を修業した。初期には斉司の胴模様を描き、面描は仲のよかった大沼力に影響をうけたという。
伊勢川口貫一郎刊行の〈こけし・2〉で名前のみ紹介されたが、写真による紹介は〈こけしガイド〉が最初であろう。〈こけしガイド〉では「鮎川は既に堅実なる作風を持つ中堅工人」との解説を付して掲載された。昭和31年2月には後藤希三、桜井昭二とともに東京日本橋三越で実演を行なった。昭和20年代から30年代前半にかけて最も活躍し、また成功した新人工人であった。
しかし、昭和35年ごろより父の体調が思わしくなくなったので、家業の表具師として働くようになり、こけしの製作量は徐々に減り、やがて製作を中断した。
上鳴子にて表具師を続けていたが、昭和63年頃に一時こけし製作を再開したことがある。ただし、再開時の作は別人木地に描彩したものであったとも言われている。。
平成29年6月8日没、行年87歳。
〔作品〕 岡崎斉の型を継承したが、仲の良かった大沼力の影響も受けた。面描溌剌として健康的な作風だった。修業中は数多く作ったようで、作品は比較的多く残っている。ネットオークションにも時々出品される。 下掲は23歳の作、こけしを作り始めて間もない時期の作であるが、作品としての完成度はすでに必要な水準に達している。
〔伝統〕 鳴子系岩太郎系列
〔参考〕
- 露木昶:宮城の旅:〈こけし手帖〉(昭和38年6月)