高橋正吾

高橋正吾(たかはししょうご:1929~2020)

系統:鳴子系

師匠:高橋武蔵

弟子:高橋宣直

〔人物〕 昭和4年12月20日、宮城県玉造郡鳴子湯元のこけし工人高橋武蔵・きよのの5男に生まれる。高橋武男は長兄。昭和22年3月、宮城県小牛田農林学校(林科)を卒業、勤めに出て頭をぐぐーっと抑え込まれるような生活は性には合わないと思ったので、家業を継ぐことにしたという。4月より父武蔵について木地の修業を開始した。こけしは昭和23年より製作しているが、修業開始当時の主な製品は、馬の尻がい玉、追い縄通し、仏器、神器、煙草入れなどであった。ちょうど正吾が木地を挽くようになったころに高亀は電動の一人挽き轆轤が据えられたという。高橋力蔵、伊東東雄は兄弟弟子にあたる。
唱和25年頃からこけしを多く作るようになったが、当初は筆を持つのが苦手で、それを克服するために毎日1~2時間毛筆で字を書く練習をした。こけしの胴模様は簡単な牡丹から練習を始めた。
昭和29年に神戸三越で開催された「趣味のこけし展」では高橋盛と共に実演をおこなった。このこけし展の報告は〈こけし友の會だより・8・9〉(昭和29年5月〉に掲載され、実演工人正吾の名前も紹介された。こけし写真とともに紹介されたのは美術出版社の〈こけし〉(昭和31年7月刊)が最初である。
昭和40年代の第二次こけしブームの時期には、桜井昭二岡崎斉司遊佐福寿大沼秀雄とともに鳴子の若手五人組と称されるようになり、鳴子こけし界を牽引する存在になった。
その後、上野々スキー場近くの鳴子町古戸前に家を構えて、しばらくそこから実家の高亀に通って仕事をしていたが、昭和54年より工房を整えて高亀から独立した。高亀の高橋武俊には実質的な木地の指導を行った。
正吾は92歳の令和2年2月までこけしを製作した。
令和2年6月20日没、行年数え年92歳。
戦前の高亀のこと、鳴子の工人のこと、ロクロや工具・染料の変遷についてなど、広汎な知識があり、記憶もしっかりしていて貴重な話を聞かせてもらえる工人だった。
次男宣直は、昭和60年より木地の修業を始めてこけしも作ったが、一時休業していたが、正吾の死後、令和3年よりこけし製作を再開した。


高橋正吾 昭和29年5月 神戸三越 趣味のこけし展

高橋正吾 平成13年11月 (国府田 恵一撮影)
高橋正吾 平成13年11月 (国府田 恵一撮影)

〔作品〕 初期の作品は、こじんまりした面描ながら、高亀の伝統を継承した端正な作風であった。 昭和40年頃より、緊張感のある鋭角的な表情の作品になった。〈こけし辞典〉に、昭和44年のそうした鋭い表情の作例がある。
古戸前で独立すると、比較的自由に父武蔵の各種古作を研究して発表するようになり、戦前の黄胴(胴の上下のロクロ線の間を黄色く塗る手法)などの再現も行って、古風であるが華やかな作品を作るようになった。武蔵の古品を静かに凝視するようになって、正吾自身のこけしも若々しさの魅力から、円熟味を感じさせる作風に変わっていった。
下の写真左端のこけしは、昭和55年1月東京の備後屋で開催された「古作こけしと写し展」の際に製作されたもの、植木昭夫蔵の大正末期高橋武蔵を写した作品である。このこけしを植木昭夫は「こけしの継承についても、自然さを大切にするかにみえる高亀では、古作の写しは、稀有のことだが、正吾の定評ある資質と技量とが、自己の日常の仕事の連続の如くに、まことに自然に、顔かたちは勿論、品位や格までを、写し切ったように思われる。」〈木の花・24〉と書いた。
高亀の堅牢な伝統の中から時にきらりと光る新感覚が、正吾のこけしを魅力あるものとしている。

〔右より 22.5cm(平成4年1月)、26.5cm(昭和55年)こけしの会「古作こけしと写し展」(橋本正明)〕
〔右より 22.5cm(平成4年1月)、26.5cm(昭和54年)こけしの会「古作こけしと写し展」(橋本正明)〕

正吾の本来の型は高橋武蔵からの継承であり、この型を継続的に作っているが、平成に入ってからも時には依頼によって、天江富弥旧蔵の瞳大きく下瞼のある武蔵大正期の復元や、遊佐雄四郎、佐藤乗太郎、佐竹辰吉の復元などを行った。
下掲は遊佐雄四郎を復元したもの。

〔 19.7cm(平成28年8月)(橋本正明)〕
〔 19.7cm(平成28年8月)(橋本正明)〕

下掲は佐藤乗太郎の原物をもとに復元したもの。「復元していくうちに、このこけしを作っていた時代や、乗太郎の気持ちまで何となく感じられるような気がした。」と正吾は語っていた。


〔右より 佐藤乗太郎 29.8cm(昭和7年頃)、高橋正吾 29.8cm(平成29年9月)(橋本正明)

下掲は長く高亀の職人を務めた佐竹辰吉の型、鋭角的な面描を良く写している。


〔 14.5cm(平成30年8月)(橋本正明)〕 佐竹辰吉型

下掲の二本は、日本こけし館(深沢コレクション)にある古鳴子作者不明を再現したもの。数え年91歳の作であるが、こけし製作への意欲は衰えていない。自ら興味を持って製作しているので魅力ある仕上がりとなっていた。


〔右より 21.1cm 、11.7cm(平成31年2月)(橋本正明)〕深沢コレクション鳴子不明こけし復元

晩年の正吾は、高亀という枠を超えて、鳴子こけしの古い型を後世にどう残していくか、またどう継承させていくかを真剣に考えていたようで、一連の古作再現はその努力の現われでもあった。

下掲は令和2年2月の作でこれが正吾の絶作となった。精神的には既に俗世を超越しているかのようなこけしである。


〔18.2cm(令和2年2月)(村野斗史雄)〕こけしとえじこ 正吾の絶作

系統〕 鳴子系直蔵系列

〔参考〕

高橋正吾こけし工房

高橋正吾こけし工房
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