正式の名称は「宮城県立工業講習所」といった。 大正11年4月に鳴子小学校に隣接して開所し、昭和2年に仙台工業学校(後の仙台工業高等学校)に吸収された。鳴子における活動は約3年間であったが鳴子の産業振興には多大な効果があっ… 続きを読む
タグ別アーカイブ: 鳴子木地講習所
大沼新兵衛
〔人物〕 明治19年10月14日(戸籍面では18日)、大沼平三郎の三男として鳴子に生まる。通称を要という。長兄は戸籍名を要といい、通称を誠という。父平三郎は沢口吾左衛門文書(明治21年)にも記録される木地師で、大沼岩太郎… 続きを読む
桜井万之丞
〔人物〕 明治24年4月5日、鳴子湯元大沼甚三郎・ときの四男に生まる。鳴子尋常高等小学校卒業後、明治38年15歳より中山平の長兄大沼岩蔵について木地を習得した。秋山忠は中山平時代の兄弟子である。明治41年18… 続きを読む
岸正男
〔人物〕 明治36年1月15日、温泉の馬車曳きをしていた岸惣吉(一説には惣太郎)、里のの三男として鳴子に生まれる。母里のは大沼又五郎の孫であり、大沼源太郎の従妹にあたる。明治45年10歳で高橋万五郎の家へ入り、雑用などを… 続きを読む
丹野勝次
明治25年熊本県出身。青森工業高校卒業後丹野家へ夫婦養子となる(妻女は青森県出身)。大正12年鳴子の木地講習所の講師として秋田県から転任、大沼新兵衛が助手としてついた。その後鳴子の木地講習所が廃止となり仙台の木地講習所に… 続きを読む