正式の名称は「宮城県立工業講習所」といった。
大正11年4月に鳴子小学校に隣接して開所し、昭和2年に仙台工業学校(後の仙台工業高等学校)に吸収された。鳴子における活動は約3年間であったが鳴子の産業振興には多大な効果があったとされる〈鳴子町史〉。
主たる構成は下記の通りであった。
- 修業年限
本科2年、別科1年で合わせて3年(ただし大部分は本科2年で卒業した) - 所長氏名
秋月源太郎(仙台工業学校長兼任) - 学科及び主任講師
木地科 丹野勝次
塗師科 大平某
指物科 谷本利衛蔵
蒔絵科 遊佐忠衛 - 生徒数 1学科 14、5名
最後の生徒は仙台工業学校に転校して卒業した。
生徒は鳴子以外からも入所したが、こけし関係者では後藤希三が木地科(本科)第1回、岸正男が木地科別科の卒業であった。
また木地科の講師丹野勝次の助手を大沼新兵衛が勤め、また桜井万之丞も助手をつとめたという。
〔参考〕
- 西田峯吉:木地技術の伝承形式〈こけし・木地師の周辺双書・第3集〉(昭和40年8月)