タグ別アーカイブ: 後藤希三

鳴子木地講習所

正式の名称は「宮城県立工業講習所」といった。 大正11年4月に鳴子小学校に隣接して開所し、昭和2年に仙台工業学校(後の仙台工業高等学校)に吸収された。鳴子における活動は約3年間であったが鳴子の産業振興には多大な効果があっ… 続きを読む

中鉢君雄

〔人物〕昭和10年11月27日、鳴子町名生定小室の農業中鉢喜惣右衛門・うめよの三男に生まれる。柴崎丑次郎の息子又吉の嫁さつきの従兄弟に当たる。昭和26年3月川渡中学校を卒業後、直ちに鳴子後藤希三の弟子となり、昭和34年ま… 続きを読む

上野義則

〔人物〕昭和24年6月9日宮城県玉造郡中山平の林業上野清一の三男に生まれる。昭和38年中学二年生のときこけしクラブに入り、鳴子こけし組合の工人たちの指導を受けた。岡崎斉一は同学年でともにこけしクラブで活動した。昭和39年… 続きを読む

大沼新兵衛

〔人物〕 明治19年10月14日(戸籍面では18日)、大沼平三郎の三男として鳴子に生まる。通称を要という。長兄は戸籍名を要といい、通称を誠という。父平三郎は沢口吾左衛門文書(明治21年)にも記録される木地師で、大沼岩太郎… 続きを読む

本間留五郎

〔人物〕  明治42年12月9日、山形県西田川郡温海町温海の時計修繕業本間卯太郎、ことの五男(末子)に生まれる。兄が塗師であった関係で、両親より木地挽の修業を勧められ、大正13年4月16歳のとき、鳴子の岡崎斉の… 続きを読む

後藤希三

〔人物〕  明治41年7月19日、宮城県玉造郡鳴子町の後藤久米治郎・しをの二男に生まる。幼少のころから大沼新兵衛の家で育ったため、戦前は大沼希三として知られていた。鳴子小学校を卒業後、鳴子木地講習所(宮城県工業… 続きを読む

後藤晧

〔人物〕 昭和10年10月19日宮城県玉造郡鳴子のこけし工人後藤希三・はるよの長男に生まれる。〈こけし辞典〉項目は後藤皓で立てられているが日へんの後藤晧が正しい。昭和29年に古川工業高等学校を卆業後、父の希三について木地… 続きを読む

丹野勝次

明治25年熊本県出身。青森工業高校卒業後丹野家へ夫婦養子となる(妻女は青森県出身)。大正12年鳴子の木地講習所の講師として秋田県から転任、大沼新兵衛が助手としてついた。その後鳴子の木地講習所が廃止となり仙台の木地講習所に… 続きを読む