佐藤誠治

佐藤誠治(さとうせいじ:1925~1995)

系統:津軽系

師匠:佐々木金次郎

弟子:

〔人物〕大正14年7月28日、弘前市国吉出身の建具屋佐藤留次郎の5人兄弟の長男として蔵館で生まれた。子供の頃にトロッコに乗っていて大怪我を負ったが、治療を十分に受ける事が出来ず、やや足に不自由が残った。
昭和15年、大鰐の佐々木金次郎に弟子入り、木地挽きを修得した。以来、金次郎没後も長男金一郎の職人となり、こけし・こま・木台などを挽いた。こけしは木地と胴のロクロ模様のみを挽き面描はしなかった。従って金次郎、金一郎名義のこけしには誠治の挽いたものがあるが、下木地を挽いていた誠治の存在は収集界に知られていなかった。
昭和42年12月に蒐集家の中屋惣舜が大鰐を訪れて誠治の存在を知り、面描を依頼して誠治描彩のこけしを入手した。その後昭和43年にかけて少数のこけしを作ったが、昭和43年冬に出稼ぎのため出郷したため、こけしの製作は中断された。道路の舗装作業員として働き東京、千葉、沖縄に行くこともあったようである。年によっては、盆、暮以外には帰郷しない事もあったという。木地挽き時代はバットの需要が多かったと語っていた。
平成7年11月10日、大鰐町蔵舘川原田にて没した、行年71歳。 

〔作品〕残る作品は少ないが、昭和42年から43年にかけて製作した小数のこけしは、〈こけし這子の話〉の時代(正末昭初)の大鰐のこけしを彷彿とさせる快作であった。


〔21.0cm(昭和43年)(中屋惣舜旧蔵)〕

下掲中根蔵も中屋旧蔵で、同じように中屋惣舜のもとに送られたものであろう。


〔17.5cm(昭和43年)(中根巌)〕中屋惣舜旧蔵

〔伝統〕津軽系温湯亜系
大鰐の作者であるが、師の金次郎一家は温湯から移ってきた木地師なので温湯亜系に分類される。

 

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