羽咋芳太郎

羽咋芳太郎(はぐいよしたろう:1896~)

系統:鳴子系

師匠:安藤齢太郎

弟子:

〔人物〕  明治29年11月28日、銀山温泉に生まる。農業のかたわら製炭を本業としていたが、大正11年および13年のそれぞれ12月に、銀山で開催された山形県木地講習会において1ヶ月づつ講師の安藤齢太郎について木地を習得した。以後木地業を続け、武井武雄がこけしを注文した昭和3年ころまで営業しており、同5年〈日本郷土玩具・東の部〉で作者として名前が紹介された。やがて転業し、鍬や鶴嘴の柄の製造や農業に従事した。終戦後自宅で一時木管類を挽いたが、こけしは作らなかった。戦後は銀山温泉で魚屋を営業した。昭和36年7月に西田峯吉・土橋慶三が銀山を訪れ、羽咋芳太郎と佐々木染蔵から詳細な聞書きを採り、〈こけし手帖・38〉に「銀山のこけし」と題して掲載した。
没年は不明である。  

〔作品〕 羽咋芳太郎名義のこけしは武井武雄が〈日本郷土玩具・東の部〉に紹介したころだけの製作であり、残る作品は極めて少ない。武井武雄のもとには、昭和3年12月に伊豆定雄名義と羽咋芳太郎名義のこけしが送られて来たらしい。
羽咋芳太郎名義のこけしは平成17年8月のひやねの誌上入札に出たことがある。写真を下に掲載するが、尺6寸ほどの大寸の作であった。


〔47.4cm(昭和3年)(ひやね入札)〕  〈こけし往来・第17集〉より

武井武雄は〈愛蔵こけし図譜〉頒布に解説として付けた「こけし通信・12〉で、伊豆定雄と羽咋芳太郎の違いを下図「銀山 顔の相違」のように示した。上掲写真の眼の描き方は確かに羽咋芳太郎名義の形になっている。ただし、羽咋芳太郎名義が真に羽咋芳太郎が製作したものか、注文に応じて伊豆定雄が少し描法を変えて代作したものか定かではない。ひやねに出た羽咋芳太郎名義は、胴の花模様が伊豆定雄に比べて装飾的に見えるが、これも大寸のためかもしれない。いずれにしても羽咋芳太郎名義のこけしは希少である。

〈愛蔵こけし図譜〉「こけし通信・12」より

〔伝統〕 鳴子系

〔参考〕