阿部木の実

阿部木の実(あべこのみ:1962~)

系統:木地山系

師匠:阿部平四郎

弟子:

〔人物〕  昭和37年4月18日、秋田県川連のこけし工人阿部平四郎・陽子の長女に生まれる。小さい時から父平四郎の仕事を見ているのが好きで、2歳ころから描彩のまねごとを始めた。昭和42年頃からの木の実描彩作が蒐集家の手に渡って残っている。

右 : 昭和42年の木の実の描彩 左 : 阿部陽子と木の実(満5歳) 昭和43年1月
右 : 昭和42年の木の実の描彩
左 : 阿部陽子と木の実(満5歳) 昭和43年1月 、

昭和61年仙台の宮城教育大学を卒業後、川連に戻り、父平四郎に「こけしを作りたい」と言ったところ、「これは力仕事だから、女には無理だ」と言われた。それでも気持ちは変わらなかったので、父のそばで敢えて力のいる仕事を数日し続けたところ、「そんなにやりたいならいいだろう」と許可が出て、正式に木地の挽き方から指導を受けることが出来た。この年から、こけしの製作を行っている。 平成2年に東京のデパートで初めて個展を開催、その後2年に一度の開催で、この個展は今日まで続いている。

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阿部木の実 平成25年鳴子全国こけし祭り会場

〔作品〕  こけしは父平四郎型の他に、平四郎が作っていた小椋泰一郎型、小椋米吉型、柴田鉄蔵型、小椋石蔵型、そして今では小椋啓太郎型なども作る。いずれも水準の高い復元作である。下図の二本は、昭和61年木の実名義で世に出した初作である。

〔右より 9.0cm、8.3cm((昭和61年11月9日)(沼倉孝彦)〕
〔右より 9.0cm、8.3cm((昭和61年11月9日)(沼倉孝彦)〕 木の実初作、小椋米吉型

〔右より 18.2cm(昭和62年5月12日)、12.0cm(昭和62年2月27日)、15.0cm(昭和62年1月18日)(沼倉孝彦蔵)〕
〔右より 18.2cm(昭和62年5月12日)平四郎型、12.0cm(昭和62年2月27日)米吉型、15.0cm(昭和62年1月18日)泰一郎型(沼倉孝彦蔵)〕

また自ら創作意欲もあり、こけしを作り始めたころより、新考案の創作木地人形の製作も行っている。詩情あふれる小品は魅力的で、若い人の間で特に人気が高い。 こうした新考案の木地人形製作について、父平四郎に「伝統こけしと離れたこうした木地人形を作ってもいいのかしら?」と尋ねたところ、「何でもやってみたらいい。良いものが残っていくんだ。それが伝統だよ。」と言われたので、それからはためらわず作っているという。

木の実の新意匠の創案集より
木の実の新意匠の創案集より

ただ新考案の木地人形を作り続けていると、伝統こけしの生命力のある強さに魅かれて無性に作りたくなり、伝統こけしを作り続けていると、新しい意匠が次々頭に浮かんで堪らなくそれを作りたくなると語っていた。伝統と新考案とは木の実にとって車の両輪のようなものなのであろう、いづれが欠けても成り立たないのかもしれない。

「数多く同じ型を復元していくとだんだん自分の中にその型のイメージが出来てくる、でもそれは原物とは異なってくる場合がある、以前は写真や父が復元したこけしなどで原の型を確認しながら作ったが、米吉型などは異なってきても面白いかなと自分のイメージで作ることもやるようになった」と木の実は語っていた。確かに原物の米吉を特定できない米吉型を作ることもあり、それは木の実のイメージの米吉であるかもしれない。伝統こけしの中でも創作を行い得る境地になっているのだろう。

〔右より 13.2cm(平成24年)、11.5cm(平成26年)(橋本正明)〕米吉型2種
〔右より 13.2cm(平成24年)、11.5cm(平成26年)(橋本正明)〕米吉型2種

実は復元作に少しづつ工夫を加えてゆくのは平四郎もよく行っていた。右は久松保夫旧蔵が原物、しかし黄色く胴を塗ったり、紫のロクロ線を肩に入れるのは平四郎による変容、その新しい米吉型をこの木の実の作品は継承している、左はおそらく西田峯吉旧蔵の米吉が原物、ただし頭に対する極太の胴とその微妙な膨らみのカーブは木の実の新しいイメージによる変容であろう。

〔右 36.6cm(平成27年5月)阿部木の実、左 36.6cm(昭和16年頃)小椋米吉名義(橋本正明)〕
〔右 36.8cm(平成27年5月)阿部木の実、左 36.8cm(昭和14年頃)小椋米吉名義(橋本正明)〕

左の米吉名義は小椋俊雄の手が加わっているかもしれない。木の実はいろいろな古作からその意匠、感覚を吸収して自分のこけしを豊かにする。

系統〕 木地山系