
〔人物〕昭和22年9月12日、岩手県遠野市遠野町の木地業常川新太郎、タマの二男に生まれた。父新太郎について木地挽きを学び、昭和52年頃からこけしの製作を始めた。父新太郎生前中には、一家のこけしは基本的にみな新太郎の名義で… 続きを読む
〔人物〕昭和22年9月12日、岩手県遠野市遠野町の木地業常川新太郎、タマの二男に生まれた。父新太郎について木地挽きを学び、昭和52年頃からこけしの製作を始めた。父新太郎生前中には、一家のこけしは基本的にみな新太郎の名義で… 続きを読む
〔人物〕大正3年7月3日、岩手県盛岡市紺屋町の常川正雄の三男に生まれた。長兄は新太郎、次兄は潤次郎、弟に秀雄、左吉雄がいた。長兄の新太郎より木地を学んだ。昭和11年に遠野の菊池町長の招聘で一家は遠野材木町に移住した。遠野… 続きを読む
〔人物〕昭和4年3月11日、福島県信夫郡水保村(現在は福島市)に農業、玉根菊蔵、まきの十人兄弟の四男として生まれた。昭和18年3月水保村立水保尋常小学校高等科卒業後、農業に従事した。有料道路会社に勤めていた昭和36年に二… 続きを読む
〔人物〕昭和19年11月9日、南置賜郡三澤村小野川温泉の木地業、蔦作蔵の長男に生まれる。昭和31年(小学6年生:作蔵存命中)より描彩を、同34年より木地挽きを義兄衛より習い始めた。鳴子にてしばらく商人修業を行ったが昭和3… 続きを読む
〔人物〕昭和7年9月27日、商業武田善之助の長男に生まれる。妻女利子は新山左内の娘、新山左京は義兄にあたる。 長男の憲好は平成20年から憲雄について木地の修業を始め、平成22年1月からはこけしの製作を本業としている。 〔… 続きを読む
〔人物〕昭和20年12月13日、宮城県玉造郡鳴子町出身の高橋松子の長女に生まれる。母松子はその父高橋盛とともに一家で秋田に移って、戦争中をその地で過ごした。秋田時代に結婚し、長女正子を生んだ。昭和25年の冬、一家は鳴子に… 続きを読む
〔人物〕鳴子出身の木地師という。大正5、6年ころ秋保で飯坂の佐藤菊蔵とともに働いたことがある。その後、岩手県藤根村に移りこけしも作ったらしい。 三重の伊藤蝠堂が昭和15年5月5日に開催した第8回於茂千也祭記念において出さ… 続きを読む
〔人物〕明治34年1月12月、岩手県和賀郡笹間村(現花巻市)中笹間の仏画師高橋庄吉の五男として生まれた。22歳のとき北海道へ渡ったが、脚気を患ったため24歳で帰郷した。花巻で傘口クロ(和傘の部品)の目立て職人をしていた兄… 続きを読む
〔人物〕大正12年8月10日、岩手県花巻市の木地業高橋悟郎の長男に生まれた。弟に金四郎がいる。父の悟郎はもともと傘ロクロの職人であり、特に矢田目式傘ロクロを用いていたが、さらに静岡で当時先端の芦川式傘ロクロを学んだ。悟郎… 続きを読む
〔人物〕昭和10年3月13日、山形県米沢市の農業佐藤芳美の次女に生まれた。昭和32年米沢の高崎祐一と結婚した。家業のこけし製作を手伝うようになり、昭和33年5月より舅の高崎栄一郎や夫の祐一の木地に描彩を行うようになった。… 続きを読む