
〔人物〕 昭和34年6月30日、福島県土湯温泉の木地業西山憲一・キヨの三男に生まれる。 昭和53年3月福島県立福島商業高校を卒業後、飯坂温泉のホテル聚楽㈱に入社、昭和55年転職して東北ムネカタ㈱で働いた。平成… 続きを読む
〔人物〕 昭和34年6月30日、福島県土湯温泉の木地業西山憲一・キヨの三男に生まれる。 昭和53年3月福島県立福島商業高校を卒業後、飯坂温泉のホテル聚楽㈱に入社、昭和55年転職して東北ムネカタ㈱で働いた。平成… 続きを読む
天保元年4月7日、福島県信夫郡土湯村の佐久間亀五郎の二男に生まれた。長兄は佐久間弥七、浅之助、作蔵は甥にあたる。木地の技術は父亀五郎より修得した。同村の西山長太郎長女サクと結婚し、西屋西山金作(戸籍名弥三郎)の夫婦養子と… 続きを読む
〔人物〕 嘉永5年11月13日、福島県信夫郡土湯村上ノ町の西山濱吉、サクの長男に生まれる。名前表記は文献によって「辯」「弁」が使われるが、戸籍上は「辨」が正しい。 父濱吉は佐久間亀五郎二男、土湯の首の回るこけしの創始者… 続きを読む
〔人物〕生年月日、没年月日不詳。 仙台市のこけし工人で玩愚庵を経営した鈴木清の妻女峰子の従弟にあたる。仙台市八幡町石切に住んで、建設会社橋本組に勤務していた。戦後一時、鈴木清について木地を学び、自分の名義でこけしを店に並… 続きを読む
日本こけし館は、宮城県大崎市鳴子温泉尿前74-2にあり、こけし文化のセンターとなることを目的に建設された。 こけし館が建てられるきっかけとなったのは、昭和28年に深沢要のコレクションが鳴子町に寄贈されたことであった。長い… 続きを読む
〔人物〕 昭和28年3月15日、旧秋田県雄勝郡雄勝町の父・沼倉孝造(神職)、毋・昭子長男として生まれる。 昭和46年秋田県立湯沢高等学校卒業後、東京都文京区で8年間会社勤務ののち帰郷、湯沢市内の印刷会社にて写真撮影とグ… 続きを読む
〔人物〕大正7年1月27日、秋田県横手に生まる。元来、食料品業についていたが年齢に達し入隊した。兵役後、昭和17年10月より秋田の工芸指導所に入り、指導官であった高橋盛より木地を習得した。本荘の佐々木末治、皆川元一、象潟… 続きを読む
〔人物〕 明治13年6月25日、福島県伊達郡川俣町字瓦町60の旅館業根本仙十郎・チウの六男に生まれる。小学校卒業後養蚕の審査員等をやったが、脚気になりその治療のため飯坂温泉に行った。その折見た木地業が自分に向いていると思… 続きを読む
弘化4年、徳島出身の古医方松邨春岱の長女として大坂難波生まれた。 8歳のときに四条派の石垣東山に入門、16歳の時、絵の修業のため父春岱とともに北陸を数ヶ月にわたり巡遊、このとき福井藩の絵師島田雪谷から画の手解きを受けた。… 続きを読む
〔人物〕昭和6年9月1日、福島市庭坂の野地半蔵の六男に生まれる。学校を卒業後会社員となり30年務めて退職した後、昭和47年6月より土湯の渡辺和夫に師事して木地を学んだ。こけしは昭和49年6月より作りはじめた。昭和52年6… 続きを読む