〔人物〕昭和7年10月10日、宮城県遠刈田の我妻与四松の長男に生まれた。弟に信幸がいる。昭和30年代から、父の仕事を見ながら見様見真似でこけしを作った。昭和41年より土産物店「よしまつ」で働く傍ら、父与四松から木地の技術… 続きを読む
我妻勉
〔人物〕昭和25年9月25日に生まれた。 元来こけし愛好家であったが、こけしの製作を志し、山形県肘折温泉の佐藤重之助に弟子入りして、こけし製作を学んだ。年期明け後独立し、白石市の宮城物産に職人として勤めるようになった。 … 続きを読む
我妻つね子
〔人物〕昭和8年8月5日、農業田切榮の四女に生まれた。昭和40年宮城県遠刈田温泉の我妻与四松の長男昭三と結婚した。昭和59年より夫の昭三の指導でこけしの描彩を練習、昭和61年頃よりつね子名義のこけしを出すようになった。&… 続きを読む
吾妻鉄造
山形県肘折の奥山運七の妻女ヤスの姉の子供。 奥山運七、ヤスは子供に恵まれず、ヤスの姉の子である吾妻鉄造を養子にしたが、鉄造は木地の仕事を好まず、3年ほどで肘折を去った。その間、こけしを製作したかどうか不明である。 鉄造が… 続きを読む
我妻東三郎
宮城県刈田郡遠刈田では、大正6年と7年に宮城県から約30名の弟子を6ヵ月養成するだけの補助金が交付された。北岡商店は佐藤広喜を講師として木地職人の養成を行った。 我妻東三郎はその時の弟子の一人。 他の主な弟子は、高橋林平… 続きを読む
我妻信雄
〔人物〕昭和7年8月18日、遠刈田の木地師我妻庄三郎の三男に生まれる。父の庄三郎は、大正6年宮城県主催の木地講習会で吉田畯治について木地を習得している。信雄は、昭和23年遠刈田中学校卒業後、昭和25年より遠刈田の佐藤守正… 続きを読む
我妻信幸
〔人物〕昭和10年2月20日、宮城県刈田郡遠刈田温泉の木地業我妻与四松の次男に生まれた。長兄は昭三。昭和25年から新型こけしを描いていたが、昭和35年に父与四松が本格的に伝続こけしを姶めたのを機会に、描彩の手ほどきを受け… 続きを読む
我妻真人
〔人物〕昭和50年3月28日、仙台市の我妻敏の長男に生まれる。昭和63年に仙台市太白区秋保町湯元に「秋保工芸の里」がオープンすると、一家はそこに移って「我妻こけし製作所」を開き、こけしの製作を続けた。平成6年4月より父の… 続きを読む
我妻芳夫
〔人物〕昭和7年5月8日、宮城県柴田郡川崎町青根の木炭製造業我妻市三郎、せよの六男に生まれる、我妻市助は長兄にあたるが、昭和16年に海軍に入隊し昭和19年6月1日戦死した。 昭和21年尋常高等小学校を卒業後、兄市助の師で… 続きを読む
我妻与四松
〔人物〕 明治33年12月5日、遠刈田の鋤鍬柄師我妻与七の長男に生まれた。大正元年遠刈田尋常高等小学校を卒業後、吉田畯治の木地工場に入り、食費自弁の契約で働いた。当時吉田の木工所には、佐藤治平、佐藤倉吉(平沢出身、吉郎平… 続きを読む