佐藤熊治

宮城県横川(現在の刈田郡七ヶ宿町横川)の.小椋栄三郎の弟。弥治郎の佐藤東吉、なみの婿となり別家した。熊治夫妻の入った家は弥治郎の佐藤春治(天保8年8月22日没)が天明の飢饉の時に米沢へ去り、再び弥治郎へもどってきて建てた… 続きを読む

佐藤慶治

〔人物〕 明治23年12月23日、宮城県刈田郡八宮村11(現在の弥治郎)の木地師佐藤幸太・すくの二男として生まれた。兄に今三郎、弟に味蔵・栄太郎・春二、妹にはるよがいる。栄太郎は生後間もなく亡くなった。木地は父幸太に学ん… 続きを読む

佐藤慶太郎

明治39年及位駅前の大工佐藤松治の弟に生まれた。14歳より24歳まで\及位木工場で佐藤文六の弟子となり木地を習得した。昭和15年北海道へ渡りまもなく病死した。こけしも作ったというが作品は確認されていない。 下掲写真右端は… 続きを読む

佐藤敬弥

明治26年、福島県伊達郡小国村で生まれた。高橋忠蔵の遠縁の人で飯坂鯖湖の渡辺角治の弟子となった。3年間〈土湯木でこ考〉、または7年間〈こけし木地師の周辺双書・2〉弟子として修業につとめたが、忠蔵より1年後、大正8年に辞め… 続きを読む

佐藤今朝吉

〔人物〕 昭和5年3月1日、下駄製造業佐藤惣太郎次男として遠刈田温泉に生まる。昭和18年、尋常高等小学校卒業と共に、徴用されて東京の工場で働き、終戦とともに帰郷した。家業の下駄屋の職人をしていたが、新型こけしのブームとな… 続きを読む

佐藤賢一

〔人物〕  昭和4年12月25日、仙台市の木地業佐藤幸治、定代の長男に生まれる。木地業佐藤賢治の孫にあたる。佐藤信三は弟。昭和19年五ツ橋尋常高等小学校卒業、東京の日立亀有工場に勤務、青年学校に通った。昭和20年9月仙台… 続きを読む

佐藤源吉

山形県蔵王高湯(蔵王温泉)の岡崎長次郎の弟子。〈鴻〉によると昭和16年以前に転業しているが、生年月日出身地やその後の消息は不明である。こけしは雇われた職人と同様に長次郎描彩こけしの木地を挽いたものと思われる 。

佐藤賢治

〔人物〕明治13年9月25日、仙台市東五番丁1の木地業佐藤半治、えんの二男に生まれる。仙台で一番古い木地師の家系で、父半治について木地を修業した。元来横木挽きが専門で、主として家具の部品等を挽いた。 遺族の話では賢治の父… 続きを読む

佐藤好一

〔人物〕 昭和4年11月22日、宮城県刈田郡遠刈田新地のこけし工人佐藤好秋の長男としてに生まれた。昭和17年小学校時代から自家のロクロに上がって木地を挽いた。昭和19年遠刈田尋常高等小学校を卒業し、徴用により横浜で働いた… 続きを読む

佐藤幸一

〔人物〕昭和11年2月22日、宮城県白石市の菓子職人佐藤要太郎の三男に生まれた。昭和32年より浜津平三郎について木地を学び、以後継続して平三郎方にて働いた。昭和52年に白石市内で独立した。 〔作品〕昭和52年より幸一名義… 続きを読む