昭和10年2月9日、遠刈田に生まれた。父は佐藤豊治で、佐藤三蔵、五月は兄にあたる。 昭和25年より、兄三蔵について木地を学んで、三蔵と共に働いたが、昭和32年に転業した。以後の消息は不詳。昭和20年代後半から30年代にか… 続きを読む
佐藤雅弘
〔人物〕 昭和12年3月1日宮城県刈田郡福岡村字鎌先(現在の白石市鎌先温泉)にて佐藤雅雄の三男(長男:直樹・次男:博・弟に光雄、善幸がいる)として生まれる。昭和28年直樹より本格的に木地挽きの指導を受ける,この頃直樹の工… 続きを読む
佐藤正廣
〔人物〕 昭和13年7月27日、樺太豊原市の農業佐藤廣助、まつの二男(八人兄弟の末子)に生まれる。終戦により一家は引き揚げ、宮城県宮城町に居を定める。昭和30年宮城町大倉中学校を卒業後、我妻吉助について木地を修業した。 … 続きを読む
佐藤桝男
〔人物〕大正10年9月19日、郡山市安積町日出山(ひでのやま)に生まれた。昭和14年に米沢に行って、日下源三郎ついてに木地を学んだ(〈伊勢こけし・4〉、〈全工人の栞〉では、昭和12年入門とあるが後述の川口記述の年次に従っ… 続きを読む
佐藤松之進
〔人物〕明治8年5月20日、佐藤友治、いち(戸籍表記いつ)の長男として宮城県刈田郡宮村(遠刈田新地)に生まる。戸籍名佐藤松之助。古い文献では明治5年生れとされているが誤りである。明治14年小学校入学以来、学校の帰りに、本… 続きを読む
佐藤学
佐藤護
〔人物〕 明治36年6月1日遠刈田新地の木地業佐藤寅治の三男として生まれる。周治郎・直治(小原)・直助は父寅治の兄弟であり、護の伯父、叔父にあたる。大正4年小学校卒業後、正式に父寅治について木地を学んだ。大正5年父寅治が… 続きを読む
佐藤美喜子
〔人物〕昭和30年1月4日、会津若松の電気技師秋山孝の三女に生まれる。4人兄妹の末子。母親の祖は土湯上の松屋の系譜とつながりがあると言う。おとなしい性格だったが運動神経に優れ、高校時代にはバトミントン部で主将として全国大… 続きを読む
佐藤味蔵
〔人物〕 明治26年8月8日、宮城県刈田郡八宮(弥治郎)の佐勝幸太、すくの三男に生まれた。今三郎、慶治の弟で、春二の兄にあたる。末弟の春二には味蔵が主に木地の指導を行ったという。大正7年26歳のとき、山形県の白布高湯(現… 続きを読む
佐藤三男
〔人物〕 大正15年8月20日、佐藤丑蔵、たまよの次男として遠刈田新地に生まれる、後に光保と改名。戦中は航空関係の技術者として徴用されていたが、戦後の昭和21年より木地挽きを始める。昭和30年頃より佐藤栄一らと共に遠刈田… 続きを読む