〔人物〕昭和6年3月11日、福島県土湯温泉町下ノ町のアサヒ写真館佐藤兵七、サ生(さい)の長男に生まれた。祖父は佐藤嘉吉。学業終了後福島市内の写真館に弟子入りし、3年間住み込みで技術を習得した。その後、土湯の実家の写真業を… 続きを読む
〔人物〕昭和6年3月11日、福島県土湯温泉町下ノ町のアサヒ写真館佐藤兵七、サ生(さい)の長男に生まれた。祖父は佐藤嘉吉。学業終了後福島市内の写真館に弟子入りし、3年間住み込みで技術を習得した。その後、土湯の実家の写真業を… 続きを読む
〔人物〕昭和8年2月20日、鳴子自由業菅原直治・ことぢの三男に生まる。昭和23年3月鳴子中学校卒業後、昭和24年8月より鳴子の大沼宜輔工場で松田初見より木地を習った。昭和28年7月よりこけしは製作している。昭和33年頃大… 続きを読む
〔人物〕昭和8年9月11日、山形県米沢市のこけし工人高崎栄一郎の長男に生まれた。昭和24年米沢第一中学校を卒業し、直ちに父の栄一郎について木地を学んだ。その後一年間は夜間高校に通った。昭和32年佐藤芳美の次女美和子と結婚… 続きを読む
〔人物〕昭和27年10月9日、福島県福島市土湯温泉町の阿部勝英、シナの長男として生まれた。敏道は義兄にあたる。阿部勝英に師事して木地を習い、描彩を母シナから習って、こけしの製作を始めた。 〔作品〕父の勝英は昭和43年頃か… 続きを読む
〔人物〕大正10年3月15日、仙台市川内大工町の国鉄職員菅野千代吉、とめの二男に生まれた。一家は小学校6年生の時、岩手県盛岡市に移住した。昭和13年3月盛岡の旧制中学校を卒業し、国鉄盛岡保線区に勤務した。昭和17年に右肢… 続きを読む
〔人物〕 天保3年4月14日、佐藤亥之松の長男として刈田郡宮村(遠刈田新地)に生まれる。戸籍上では佐藤七右衛門長男となっているが、七右衛門は周治郎家の家号で、通称亥之松という。木地挽きの修業開始年代は不明だが、二人挽き時… 続きを読む
〔人物〕昭和49年9月15日、埼玉県戸田市の石英ガラス加工職 峰岸忠男の三女に生まれる。平成10年3月北里大学水産学部を卒業後、水産会社の研究室や水質分析の仕事に従事した。平成22年に結婚した。 元々職人の手仕事への憧れ… 続きを読む
〔人物〕 昭和30年3月5日、鈴木運吉・花枝の長男として、宮城県玉造郡鳴子町に生まれる。父の運吉は、鳴子の岡崎斉吉について木地を修業した人。こけしの描彩は母の花枝がもっぱら行っていたという。 俊幸は昭和47年… 続きを読む
〔人物〕明治8年(推定)、宮城県刈田郡宮村遠刈田小妻坂に生まる。明治24年17歳のとき、遠刈田新地の佐藤周治郎について木地を習得。周治郎とともに大宮源ハエ揚の職人として働いた。 明治27年20歳のとき木材の重量を測るため… 続きを読む
〔人物〕昭和8年5月9日、山形県米沢市の武田卯三郎、リオの三女に生まれる。武田信吉、武田正志は兄にあたる。天童市の高橋家に嫁いでいたが、兄の信吉の指導を受けてこけしの描彩を行うようになった。昭和59年より高橋コウ名義で作… 続きを読む